オーナーシェフを務めるスイーツ店「Toshi Yoroizuka」が今年で開業21周年を迎えた、鎧塚俊彦さん(60)。

 それまでのキャリアを捨てて挑んだヨーロッパ修行を経て、37歳で恵比寿に店を構えると、その5年後に故川島なお美さんと結婚し、同年に網膜中心静脈閉塞症を発症。左目の視力を失っても、決して自暴自棄になることはなかったという鎧塚さんに、当時の日々について聞いた。(全3回の2回目/#1#3を読む)

鎧塚俊彦さん ©榎本麻美/文藝春秋

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――29歳で海外留学を決意され、スイス、オーストリア、フランス、ベルギーなどで8年にわたる修行をされたわけですが、日本でキャリアを築いていたからこそ日本との違いを明確に感じたのでは。

鎧塚俊彦さん(以下、鎧塚) 洋菓子に対する味覚って、もちろん国によって差異はあるんですが、ベースは一緒なんですよ。だから、バランス感覚が優れていれば、どこの国でもきちんと受け入れてくれる。実際、僕がそうでしたから。なので、まずはその国の文化を学んだりすることで自分の軸を作ることができれば、製菓技術はおのずと付いてくるんですよね。

――その8年で、日本に戻って自分の店を持とうと思ったのはなぜですか。2000年にINTERSUC(パリ国際菓子見本市)のコンテストで優勝、ベルギーの三つ星レストラン(当時)「ブリュノウ」のシェフパティシエに就任しています。それだけの実績があれば、そのままヨーロッパで店を開こうと思ったこともあったのではないですか?

37歳で「Toshi Yoroizuka」を開業、5年後に網膜中心静脈閉塞症を発症し…

鎧塚 そもそも、最終的には日本で自分の店を開こうと考えたうえで、ヨーロッパに向かったんですね。自分としては納得できるキャリアを築けたし、年齢も37歳になっていたこともあって、そろそろ日本で勝負してもいいだろうなと思ったんですよ。それで、日本に戻って、2004年9月7日に「Toshi Yoroizuka」という自分の店を恵比寿に開きました。

――そこからメディアへの露出も増え、2009年には川島なお美さんと結婚。そうしたなか、同年に44歳で網膜中心静脈閉塞症を発症されました。この時、なにか兆候みたいなものはあったのですか。