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食料はどうかき集めても足りない

 荷物は、3、4人用テントの中に置いておいた6人分のザックは無事であったが、テントの入り口付近に置いておいた食料缶が2缶とも流されてしまっていた。

 食料は、どうかき集めてみても米少々、チョコレート4枚、クラッカー1パック、ボンカレー7食分しかない。暗澹たる気持ちになった。

 テントは、3、4人用テントしかない。びしょ濡れのシュラフを持って上がっても、それで寝られるわけもない。水を吸って重いし、シュラフは捨てることにした。

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 すべてが水を吸って重いので、残った荷物を野呂川越まで上げるのに2往復した。

土石で埋まった両俣小屋裏口(1982年8月撮影)

 3、4人用テントを野呂川越に張ってすぐに寝た。服を着込み、うち重なって寝た。一夜の疲れがドッと出て、すぐに眠りについた。

 目醒めると雨はすっかり上がっており、空も十分明るくなっていた。

 テントの外に出て背のびをしたりして、さてこれからどうするかなどと話し合っていた時であった。

 登山道を登ってくる足音がした。人間であった。頭にハチマキをし、髪の毛はボウボウで、長靴をはいた女の人が登ってきた。

 漂流した無人島で、いきなり原住民に出会ったような感じだった。ぎょっとした。

 小屋番だった。

「いやー、あなた方が両俣に来てるとは知らなかったから、テントが埋まってるのを見てびっくりした。それで来てみた」という。

 小屋に届けていなかったという負い目があって、昨日の事情をすぐに説明した。サイト料を払いに小屋に行ったのだが誰もいなかったこと、夜中、小屋に避難しようと思って行ったがまたもや誰もいなかったことなどを一気に話した。

 小屋番は、T大の安否とD大の行方、安否がわかって一安心し、薄日の差す山中を帰った。

 埋まったテントをそのままにしておくのも人騒がせだし、いつ撤収に来られるかわからないので、W君、Y君、E君、T君の4人で両俣まで下った。小屋に寄り、古鍋、古やかんに清水を汲み、野呂川越に戻った。

 残っていた米全部を炊いて、飯だけで食べた。高地でうまく炊けず、味がついていないのだが腹は満ちた。

 明日朝は、早く起きて両俣まで鍋とやかんを返しに下らねばならないと思いながら眠りについた。小さなテントに7人の男が寝るのだから、窮屈この上ないが、しかたないことであった。