1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。前日から降り続けた雨は強くなる一方で、小屋番の桂木優氏は不安に駆り立てられる。テントサイトの登山者を小屋に避難させるも、夜半に濁流が小屋の目前にまで迫ってきた。
這う這うの体で裏山へ避難するも、冷たい豪雨は容赦なく体温をうばっていく。台風による気象遭難の惨劇を描いた『41人の嵐』(ヤマケイ文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の1回目/#2に続く)
(人名、学校名などを一部イニシャルで表記しています)
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誰か助からない者が出るかもしれない
木の間の空が白み始めた。真っ暗闇だっただけに、白み始めると空だとすぐわかる。だが台風はとうに通過したはずなのに鈍い灰色の空だった。
なぜ明るい青空が見えないのだ。なぜ太陽の色が見えないのだ。寒さに震えながら寒さに耐えながら、みんなが待ち望んでいたのはこんな空ではないのだ。傘とカッパだけでずぶ濡れになりながらも「明るくなるまで頑張ろうぜー」と、お互いに励まし合って暗い山中で耐えたのは、明るくなれば雨も上がって太陽が見られると思えばこそだ。それが明けてみればこんな灰色の空で、しかもまだ雨を落としている。期待は完全に裏切られた。みんなの不安と焦燥はひどくなっていった。
Tさんが「みんなだいぶ冷えてきている。少し歩いて体を動かした方がいいんじゃないか」と、小屋番に言った。みんな一斉に小屋番を見た。
みんなをずうっと励ましていたA大の学生たちにも完全に疲労の色が見える。気力も失せているようだ。M短大の学生たちはいまにも泣き出しそうな顔でいる。N大の学生たちは相変わらず静かな様子であったが、焦燥の色は隠せない。
A大のY君とH君が立ち上がって背伸びをした。一晩中大声を張り上げるようにしてみんなを励まし続けた二人だ。頭からしずくをたらしながら拭う術もなく立った二人の目からは完全に気力が失せているようだった。
「A大の学生でさえこんな状態か」
小屋番は愕然とした。
A大の学生がバロメーターだと思っていたのだが、そのA大生から気力が失せたとなると危ない。もうダメかもしれないな、誰か助からない者が出るかもしれないと小屋番は思った。
「少し待ってて。上の方の様子を見てくるから」と言って偵察に出た。
5分ほど登ったころ、背の低い、葉の生い繁ったトウヒとシラビソが一面に生えているところがあった。この枝葉で雨よけの小屋が作れる。くさむらもある。ここなら何とか雨風をしのぐことができるだろう。体も動かさなくてはならないから少しは温まるだろうと思いながら、みんなのところへ戻った。
「私は今もどうしたらよいのかわからない。だけど、もう少し登ると草木の繁ったところがある。そこで雨やどりの小屋を作ってとりあえず休もう」