1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。前日から降り続けた雨は強くなる一方で、小屋番の桂木優氏は不安に駆り立てられる。テントサイトの登山者を小屋に避難させるも、夜半に濁流が小屋の目前にまで迫ってきた。
這う這うの体で裏山へ避難するも、冷たい豪雨は容赦なく体温をうばっていく。台風による気象遭難の惨劇を描いた『41人の嵐』(ヤマケイ文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の3回目/#4に続く)
(人名、学校名などを一部イニシャルで表記しています)
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野呂川の増水がテントまで押し寄せていた
T大学ワンダーフォーゲル部は7人パーティーであった。
8月1日、午前5時30分に仙丈山荘を出発し、午後0時10分に両俣に着いた。
台風は夜半に日本上陸であるとのことだったので、仙丈ヶ岳周辺では暴風雨が予想された。移動を検討した。とる道は北沢峠に引き返すか、両俣まで行くかであった。
行動予定ではあと3日で下山である。両俣を経て、北岳、間ノ岳、農鳥(のうとり)岳の白根三山(しらねさんざん)を踏破すれば、夏合宿は終わるのである。
両俣は、野呂川が流れているが谷間でもあるし樹林帯であるし、風からは身を守れると判断した。野呂川の増水も心配されたが、いくらでも高台に移ることは可能である。
やはり、引き返すより前進することを選んだ。
そして、どしゃ降りの中を歩き、両俣に着いたのだった。
サイト料を払いに小屋に行ったのだが、誰もいなかった。
水場を確認して帰る途中、撤収中のM短大パーティーに会った。
「小屋に避難はしないんですか」と聞かれたが、「たぶん大丈夫だと思います。危なくなれば避難すると思いますけど」と答えて、奥のテント場に戻った。
午後5時には夕食をとり、午後8時には就寝した。
午後9時30分ごろ、シュラフから手を出して背伸びをしたW君の手に、水が感じられた。「溝掘ったのは誰だ。こんな掘り方して」と怒鳴ったが、様子が変だ。あわてて起きて外に出てみると、野呂川の増水がテントまで押し寄せていた。みんなを起こし、急いでテントの移動となった。5メートルほど上部の高台にすみやかに移動した。
もう大丈夫だろうと思いテントに入ったが、やはり不安でならない。時々外に出て見るが、野呂川はまだまだ増水を続けそうであった。念のためにまたテントを移動することにした。さらに5メートルほど上部の高台に移動した。
そのころD大のテントは、水深20センチほどの水の中だった。D大でも異常に気付いたらしく、数人が外に出て溝を掘ったりテントを支えたりしている。D大も移動すればいいのにと思っていたが、大きな家型テントのために移動が手間なのであろう。