1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。前日から降り続けた雨は強くなる一方で、小屋番の桂木優氏は不安に駆り立てられる。テントサイトの登山者を小屋に避難させるも、夜半に濁流が小屋の目前にまで迫ってきた。
這う這うの体で裏山へ避難するも、冷たい豪雨は容赦なく体温をうばっていく。台風による気象遭難の惨劇を描いた『41人の嵐』(ヤマケイ文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の2回目/#3に続く)
(人名、学校名などを一部イニシャルで表記しています)
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謝る時は今ではない
一番元気な、M・Yさんがあっちへ回ったりこっちへもぐり込んだりして、みんなのマッサージ係のように奮闘していた。彼女の精神力と体力はすばらしかった。
まだまだ助かる。勝算は十分にある、と小屋番は気を取り直していた。
三つできた小屋には、一つはM短大、もう一つにはA大、残りの一つにはN大とTさん、Kさんが入った。狭い空間に肩寄せ合って雨風をしのいだ。小屋の効あってか、寒さをさほど感じないようになった。
小屋番はM短大の小屋にいた。そして作業中についに聞いてしまった言葉をかみしめていた。
「私、お姉さんを絶対許さない」
当然出てくるはずの言葉である。
小屋番は、広河原へ向けて出発するというM短大に対して、両俣で台風をやり過ごしてみてはどうかと誘っている。その結果、着のみ着のままで雨の中に逃げ出すはめになってしまった。そのうえ、仲間のNさんが倒れてしまった。しかも危険な状態だ。悔やんでも悔やみきれないことだろう。予定どおり広河原に行っていたのならこんな目に遭わなくて済んだのに、という思いが彼女の胸の中でいっぱいになっていたことだろう。両俣を出ていれば、こんな生死をかけるような目に遭うこともなかったのだ。お姉さんのあの一言がなかったら……。当然の思いである。
小屋番はその言葉を聞いた時、謝ることをあえてしなかった。今謝れば、今自分の非を認めてしまえば、苦しい状況なだけにおのおの張りつめている気持ちが緩んでしまい行動がとれなくなってしまうだろう。今は緊張を持続してもらうしかないのだ。謝る時は今ではない。助かる見込みがついて、みんなが安心した時にこそ謝ろうと決心した。その時まではみんなに、24人にどう思われようと平然としていなければならない。憎しみもまた人のエネルギーになるはずだから、と言い聞かせていた。今はとにかく体を休ませて温めなければならないと、そのことだけに集中した。