群馬県と新潟県の県境にそびえる谷川岳(1977m)。
7月は谷川岳登山が一年で最も気持ちのいい季節のひとつだ。緑は瑞々しく、谷筋には残雪も見え、色とりどりの高山植物が山を飾る。
標高1300メートルまでロープウェイで上がることができるため登山の難易度はそれほど高くなく、手軽に非日常的な高山風景を見られる山として人気が高い。天気のいい週末には、登山者が列をなして山頂に向かう光景が見られる。山頂直下にある山小屋周辺では、登山者がお弁当を広げ、それぞれに山頂のひとときを楽しんでいる。平和そのものの風景だ。
近ごろでは「インスタ映え」する山としても人気が高い。山頂付近の絶景はもちろんのこと、登山道の途中には、GoogleがCM撮影に使った岩場があり、今ではそこも写真を撮り合う絶好のスポットとなっている。
私も大好きな山である。私は登山歴37年になる登山ライター。これまでいろんな季節、いろんなルートから30回ほど谷川岳に登ってきたが、いまだに飽きることがない。天気がいい日にはつい谷川岳に足が向いてしまう。まだまだ行きたいところはいくらでもある。そんな懐深い山でもあるのだ。
エベレストの倍以上の人間が遭難死した「魔の山」
ところがその一方で、谷川岳は暗い歴史を持つ山でもある。
「谷川岳は魔の山」――そんな言葉を聞いたことはないだろうか。現代の若い登山者にはピンとこないかもしれないが、ある一定の年齢以上の人にとって、谷川岳といえば恐ろしい山、そんなイメージが抜きがたくあるはずだ。それは登山をする人だけでなく、登山をしない人の間でさえ、広く知られていることだろう。
谷川岳インフォメーションセンターの広い駐車場の向かいに、いくつかの石碑が建つ広場がある。谷川岳を訪れる人でも注目することは少ないと思うが、ここにはかつて谷川岳を世界一危険な山として知らしめた記録が刻まれている。
広場にある石碑のうち最も大きくて目立つのは、高さ約2メートル、幅10メートルほどにもおよぶ慰霊碑。そこには、これまでに谷川岳で遭難死した人の名前が刻まれている。その数、八百数十人。
世界最高峰のエベレスト(8849m)でも死者数は三百数十人。標高ではその4分の1もない谷川岳が、死者数では倍以上を記録しているのだ。現在では、ヨーロッパ最高峰のモンブラン(4808m)が上回っている可能性が高いが、谷川岳は長いこと「遭難死者数世界最多の山」として知られていた。