その日、群馬県警の谷川岳山岳警備隊詰所では、朝早くから、遺体収容に出かける隊員が忙しく準備をしていた。時は1960年9月19日。谷川岳での遭難死者数が毎年のように30人を超え、大きな社会問題となり始めていたころである。
出かける隊員を送り出した青山成孝隊員は、翌日の非番交代に備えて詰所の掃除や装備の点検などをしていた。そこに新たな遭難の一報が入った。
「一ノ倉沢で転落事故が発生した模様」
青山隊員はすぐに詰所を飛び出し、一ノ倉沢に向かう。途中で通報者と合流して、1時間半後には、早くも岩壁の基部にたどり着いた。
「あれ、人間じゃないか?」
目の前には、標高差300メートルにおよぶ垂直の岩壁が突き立っている。これこそが、長いこと「登攀不可能」として日本の登山界で名を馳せた「衝立岩」である。難攻不落を誇った衝立岩は、この前年、1959年についに登られたばかりだった。
青山隊員はその衝立岩に目を向けた。すると、岩壁の真ん中あたりに、不自然な赤い一本の線が見えた。よく見るとそれはザイル(登山用ロープ)である。その赤い線をたどって目線を下げていくと、その末端にはなにやら黒っぽい塊がぶら下がっている。
「あれ、人間じゃないか?」
そこまでの距離は200メートルほど。人間のように見えるものの小さくてよくわからない。青山隊員はさらに近づいていった。
岩場が険しすぎてもうこれ以上は近づけない、そこまで来ると、黒っぽい塊がはっきりと見えた。間違いない、人間だ。青山隊員らは大声で叫んだ。「オーーイ!!」
赤いザイルにぶら下がった人間からは何の反応もなかった。ゆらゆらと動いてはいるが、虚空に宙づり状態になっていて、風で揺られているだけだった。すでに死んでいるに違いない……。