「“罪を償う”こととは何か、ずっと考えてきました。が、すっきりした答えは出ない。それなのに、変に使い勝手のいい言葉としてあちこちで使われている。本当にそれでいいのかと、問いただしたいですね」
少年犯罪を多く取材してきたノンフィクションライターの藤井誠二さん。新著『贖罪』の題名に込めた思いを、ひと言ひと言、噛み締めるようにして語る。
本書は、まさに“贖罪中”のある長期受刑者と藤井さんの手紙のやりとりを中心に編まれている。そのきっかけから話を聞いた。
「ある刑務所から、拙著『殺された側の論理』を読んだと手紙が届いたんです。犯罪被害者や被害者遺族のことをもっと知りたいと思っている、できたら自分の話し相手になってほしい、というような内容でした」
差出人は、水原紘心(こうしん)(仮名)。現在30代の男性で、何の罪もない他人を暴行の末に死に至らしめたとして、懲役二十数年の刑に服している殺人犯だ。
「そんな手紙を受け取ったのは初めてで、まず本物かどうかの確認から始まりました。然るべき方法で裏を取り、どうやら本物だとわかったのが約1年後。以来4年近く、文通しています」
その内容を本にまとめたいと言い出したのは水原氏のほうだった。殺人という重い罪と向き合った記録が、かつての自分のような犯罪者一歩手前の若者たちにとってのブレーキになればとの申し出だ。しかし、編集作業は一時中断したことも。最後まで迷いがあった。
「僕も彼も、この本が被害者遺族にとって二次被害になるのではないかと恐れたためです。しかし最終的には、個人が特定されないための措置を全て取ったうえで出版に踏み切りました。特に彼は、被害者遺族を再び傷つけてはいけないという決意の一方で、『自分はこんなに変わった』ことを知ってほしいという願望を持っている。その矛盾を本人は認めないでしょうが――服役の前後での彼の変化・変容は、彼が書く文章を見れば明らかです」
章ごとのテーマに沿った解説や問題提起などを受けて挟まれる水原氏の手紙は、最初は藤井さんも驚き訝しんだほどの“美文”なのである。知的で思慮深く、語彙と観察に富み、自他に正直であろうという誠実さに溢れている。しかし彼は、刑務所に入る前には本らしい本は読んだことがなかったそうだ。あり余る時間で膨大な量の本を読み、徐々に言葉を“獲得”した彼が、改めて自分の罪と向き合ったという事実が、却って深く確かに伝わってくる。
話題も多岐にわたる。事件を起こした当時の自身のこと、被害者や遺族への思い、藤井さんからの質問への答え、藤井さんが差し入れた本の感想、また刑務所内の仔細なレポートも。
「あそこまで詳しく受刑者の暮らしを紹介した本は珍しいでしょう。かと思うと、哲学的な問答が続くこともあった。例えば、『僕は笑ってもいいのでしょうか?』と。とても答えられない。でも、あれは僕ではなく僕を通した、被害者や社会への問いかけでしょうね」
藤井さんのスタンスは、とにかく聞き手であろうというものだった。相手を導こうとか、教え諭そうという気持ちはなかったという。そしてこれからも、話を聞き、考えることを続けたいと締め括った。
「僕は、人は変われると信じたいんです。でも変わらない人もいる。『一生かけて償います』なんて誓っておきながら簡単に翻す加害者は少なくない。ただ彼と文通する中で、どうしたら人は変われるのか、真剣に考えるようになりました」
ふじいせいじ/1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『少年に奪われた人生―犯罪被害者遺族の闘い』『殺された側の論理―犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』、共著に『死刑のある国ニッポン』など多数。