「日本人は西洋人と比べるとはるかにmycophilic(菌類愛好症)です。〈もやしもん〉というマンガにコウジカビのキャラクターが登場するほどです」
普段我々一般人は菌類のことを考えることはめったにない。しかし、日本には醤油、味噌、納豆、酒、焼酎などコウジカビを使った菌類製品が多い。最近では死者を出した紅麹サプリがニュースになった。
菌類学者のキース・サイファート氏の初の著書『菌類の隠れた王国』は、菌類の分類はもとより、地球のエコシステムを循環させる役割としての菌類のありとあらゆる面に話が及ぶ。
「ジャガイモ疫病など作物被害を引き起こすアフラトキシンは毒性が高い菌で、それもコウジカビです。世界中でカエルが水生菌類に攻撃されて死んでいますが、frog apocalypse(カエル・アポカリプス)と呼ばれています。この菌のために何百という種が絶滅し、しかも人間が菌の拡大に寄与しているようです」
我々が雨季に見かけるパンに生えるカビも危険だ。
「世界中の肝臓がんの主な原因はマイコトキシン(カビ毒)です。毒キノコの場合、すぐに症状が出て時には死に至りますが、マイコトキシンは肝臓に蓄積され、あるときそれがティッピングポイントに達して病気を発症します。カビがそれを出しているかどうかは顕微鏡でみてもわかりません」
菌はなぜ毒性のあるものを作るのだろうか。
「その理由は、自分たちが餌にする木を昆虫に食べさせないためとか関係によって理由が異なりますが、人間に対する菌類の効果は、進化の視点からみると一種の偶然です」
元々毒性が高くてもビール酵母やパン酵母はそういう菌類が「家畜化」されたものであるという。たった一種類のカビが原因で絶滅した北米の栗があるかと思えば、森の木々はキノコの菌糸を通じて会話しているというから、その秘めたパワーにはただただ脱帽するしかない。一方で誰もが知っているペニシリンや免疫抑制剤で有名なシクロスポリンなどの抗生物質も菌類から発見されている。
しかし、本書のテーマは相利共生である。
「我々が生きている世界は、その性質上、競争、適者生存に基づいている、と考える人がいますが、それは極めて偏った見方です。この世界は多くの協力が見られ、特に生物界では顕著です」
本書が初の著書になるサイファート氏だが、時には菌の立場になることで多くのことを学んだという。
「非常に哲学的なことですが、人類は世界を支配するためにあるのではありません。私たちは互いに支配し合う存在ではなく、世界の一部であるのです。共生のバランスを失ったとき病気になったり、機能不全になったりしますが、常に状況は流動的で変化しています」
本書第9章「高度一万メートル……菌類と地球の持続可能性」は白眉と言っても過言ではない。
〈菌類に対する私たちの姿勢を問い直すことは、行動を変えるために欠かせない。私は、もっと多くの人が、菌類という微小サイズの隣人に興味を持つようになってほしいし、それが難しくても、疑念や恐怖をあまり抱かなくなってほしい〉
この言葉に著者の切実な願いが込められている。
さらに菌類テクノロジー、環境修復面での菌類の重要な役割、WHOが推進する「ワンヘルス」アプローチ、政策と規制の重要性にまでサイファート氏は言及する。
「未来は菌類とともにある」という著者の言葉は決して誇張表現ではないのだ。
Keith Seifert/カールトン大学教授。カナダ農業・農産食料省研究所では、農場や森林、食品の中の菌類について、また、屋内のマイコトキシンの抑制、菌類が原因の動植物の病気を研究してきた。International Mycological Association会長などを歴任。