そもそも相手の話を十分に理解せずには、「自分にまったく非はない」と判断すらできません。「パワハラ上司」と決めつけてキツい話を聞き流しては、「自分にまったく非はなかった」との証拠すらも聞き逃してしまいます。
悪いのは完全に相手です。この前提は動かせません。
だから怒られるのは「理不尽」です。
しかし「理不尽な目にあう」のは悪いこととは言い切れないのです。
というのも「理不尽な目にあう」のは生きていればこそのことです。生きていればそんな目にもあいます。
すべて「生きていればこそのこと」
たとえば十分に授乳して、暖かくして、子守歌を歌ってあげたとしても、猛烈に眠い中、子どもは夜泣きします。
親は悪くはありません。責任は「問題を起こした子のほうにある」でしょう。
しかしだとしても、寝かしつけないわけにはいきません。このように理不尽に夜泣きされるのは、親子ともに「生きていればこそのこと」です。
いまの日本列島ではどこに住んでいても、今日にも大地震で家屋が倒壊するかもしれません。住んでいる人にはなんの責任もありません。悪いのは活断層です。
数千万円かけて建てた家を、地震に倒されるのは「理不尽の極み」です。
でもそれにしても「生きていればこそのこと」なのです。
理不尽な目にあうとは、生きているなによりの証拠なのです。
どうにかして理解してあげる
生きているのが「いいことだ」と思うなら、理不尽な目にあうのもどこかしら「いいことだ」と思っておくしかありません。
もしもそうでないなら「死んだほうがマシ」になってしまいます。
死んでしまったら、理不尽に上司からパワハラされることはなくなります。
我が子にも夜泣きはされなくなります。家が流されることもなくなります。
しかし「死んだほうがマシ」だと思って生きていくのは、本当に消耗します。
しかたがありません。
今回だけでも「上司の言い分」を聞き取りましょう。
いったいこの「坊や」はなにを訴えているのでしょうか?