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 桜井 慣れないから耳まで切られて血が出ちゃって。店の外を見たら、高見沢がくすくす笑っていやがる。

 高見沢 ただの酔った勢いだったのに、本当にやるからさぁ(笑)。

 坂崎 ところがその直前、シングル「冬将軍」のジャケット撮影を終えていたから、さあ大変。ジャケットの桜井は長髪なんだから(笑)。

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坂崎幸之助 ©文藝春秋

 桜井 レコード会社の人に「お前、やる気あんのか!?」って目茶苦茶怒られたよ。

 高見沢 ホントごめんな(笑)。

 桜井 まあ、満員電車で押してくる人がいなくなって良かったけどね。

 坂崎 すげえ怖かったもん(笑)。

 高見沢 当時、坂崎はカーリーヘア。その後、桜井はリーゼントに。僕はパンクっぽいヘアになって、ようやく各々の個性が表れ始めたね。

ヒット曲なしでも武道館公演

 桜井 ヒットに恵まれない中、坂崎が『オールナイトニッポン』火曜2部のレギュラーに抜擢されたのは大きかった。1980年だったね。

 坂崎 そう、仲良しだった所ジョージが自分の『オールナイトニッポン』のスタジオに僕を連れていってくれたのがきっかけ。2部は当時9局ネットで、ラジオを機に新潟、高知、岩手あたりでライブのお客さんが急に増えはじめて。

デビュー50年を迎えたTHE ALFEE ©文藝春秋

 高見沢 「友達もファンになった」とか、レコード屋さんから「何枚売れたよ」と報告の葉書が届いた。あの頃からALFEEのファンは結束力が強かったね。互助会パワー(笑)。

 坂崎 ファンの一人一人がプロモーターや宣伝マンになってくれたね。その輪が全国に広がって、1983年にはヒット曲なしで当時としては異例の武道館公演が実現して。

 高見沢 その勢いで「メリーアン」がヒット。次の年には「星空のディスタンス」がヒットした。ヒットを狙っている時に出せなくて、諦めた途端に出た。

 坂崎 僕らはいつも遠回り(笑)。

(取材構成 内田正樹)

この座談会全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦「THE ALFEE デビュー50年『時効の話』」)。

 

この誌面版の記事では掲載しきれなかったエピソードを満載した「THE ALFEE デビュー50年の20大ニュース」〈2万2000字ノーカット完全版〉を、「文藝春秋 電子版」で9月28日から配信開始しました。

 

〔目次〕

【デビュー前(~1973)】
 1 学生運動に翻弄された高校での出会い
 2  坂崎、フォークソング同好会を創設
 3 桜井の美声デビューは村内放送だった!
 4 桜井、「古典4点事件」
【ブレイクまでの道程(1974~1982)】
 5 疑問符だらけのデビュー
 6 “大人の事情”でレコードが発売中止
 7 桜井、「角刈り事件」
 8 高見沢・坂崎、ギターをエレアコに持ち替える
 9 坂崎、『オールナイトニッポン』でレギュラーに
【ブレイク後の足跡(1983~2023)】
 10 『ザ・ベストテン』初の衛星中継でアクシデント
 11 ファン宅をサプライズ訪問したが……
 12 東京ベイエリアで10万人ライブ
 13 横浜スタジアムでライブ中止命令
 14 サイモン&ガーファンクルの“聖地”でライブ
 15 明治学院大学を“名誉”卒業
 16 「髙見澤俊彦」が作家デビュー
 17 高見沢、タマネギ事件
 18 コロナ禍で「顔を合わせない期間」最長記録
【デビュー50周年、これからの“ニュース予告”(2024~)】
 19 100回目の武道館、2025年にはライブ3000本に
 20 デビュー50周年のライブ、「青森ねぶた祭」に山車