パラリンピックで4つの金メダルを獲得し、世界ランキング1位のまま引退。今年3月には国民栄誉賞が授与された、元プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾。「絶対王者」と呼ばれ、数々のタイトルを獲得してきたが、その裏ではケガや重圧に葛藤することもあった。国枝は、そのような逆境にどのように立ち向かい、道を切り拓いてきたのだろうか?
ここでは、国枝慎吾と、朝日新聞記者・稲垣康介の共著『国枝慎吾マイ・ワースト・ゲーム 一度きりの人生を輝かせるヒント』(朝日新聞出版)より一部を抜粋。国枝がユニクロと所属契約を結んだ経緯を紹介する。(全3回の3回目/1回目から読む)
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「日本にはクニエダがいるじゃないか」フェデラーの有名な逸話
IMGが国枝との「代理人契約」をしたのは、12月22日付だった。
北京での金メダルで、IMGとのマネジメント契約をかなえた。プロアスリートの第一歩を踏み出す記念日ともいえる。
IMGジャパンの社長、菊地はスポンサー探しに着手した。
ユニクロを手がけるファーストリテイリングの社長、柳井正の次男で、当時は三菱商事に勤務していた柳井康治と面識があり、相談を持ちかけた。小中高の各年代で全国大会に出場するなど、テニスに造詣が深い康治は、国枝の存在を、ある有名な逸話を含めて知っていた。
2007年のことだ。日本の記者が、男子テニス界で絶対的な強さを誇っていたロジャー・フェデラー(スイス)に、
「なぜ日本のテニス界からは世界的な選手が出ないのか」
と質問すると、フェデラーは、こう異を唱えた。
「何を言うんだ君は? 日本にはクニエダがいるじゃないか」
このフェデラーとのエピソードを含め、国枝の実力、実績を知っていた康治は、自分が父に事前に打診しなくても、スポンサー契約の交渉はうまく行くだろうという思いがあった。
柳井社長から「君ってすごいんだってね」
なので、菊地にはこう伝えた。
「正面からアプローチすれば大丈夫です。それぐらい、国枝さんはすごい人ですから。父はテニスのことなら僕に聞いてくるでしょうし、そのときは側面支援というか、大いに推薦しますので」
1カ月ぐらいして、当時、九段下にあったユニクロの本部を国枝と訪ねた。受付に行くと、すぐに社長室に通された。
菊地が振り返る。
「座った瞬間に柳井さんがすぐ、『君ってすごいんだってね』という話から始まりました。『いいですよ、応援します』という形になり、遠征などの活動費の基礎となる金額のコミットメントをいただいたんです。人を見る目がある方なんだな、と感じました」
のちに柳井康治は、父の正から、こう言われた。
「お前、国枝慎吾というすごい車いすテニス選手がいるのを知らないだろう?」
康治は、こう返した。
「いやいや、知っているも何も、あのフェデラーが日本には国枝がいるじゃないかと言ったほどのプレーヤーですよ。なので、すごいのは知ってますよ」