パラリンピックで4つの金メダルを獲得し、世界ランキング1位のまま引退。今年3月には国民栄誉賞が授与された、元プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾。「絶対王者」と呼ばれ、数々のタイトルを獲得してきたが、その裏ではケガや重圧に葛藤することもあった。国枝は、そのような逆境にどのように立ち向かい、道を切り拓いてきたのだろうか?

 ここでは、国枝慎吾と、朝日新聞記者・稲垣康介の共著『国枝慎吾マイ・ワースト・ゲーム 一度きりの人生を輝かせるヒント』(朝日新聞出版)より一部を抜粋。右ひじのケガで引退危機に直面した国枝は、痛みを抱えたままリオパラリンピックに挑むことに――。(全3回の1回目/2回目に続く

国枝慎吾さん ©文藝春秋

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右腕に初めてではない鈍痛を感じた

「やっぱりひじが痛い。引退しなきゃいけないかも」

「絶対王者」としての顔を、外では崩せない。ライバルに漏れるかもしれないから、メディアにも弱音は吐露できない。それが国枝慎吾の哲学だった。唯一の安息の場所が家庭での夫婦の会話だった。

 隠し立てする必要がない、唯一の人に、引退危機を告げた。

 正確な日付は覚えていない。2017年2月、約3カ月ぶりに本格的に練習を再開した日だった。

 違和感を覚えたのは、東京都北区のナショナルトレーニングセンターでのストローク練習がフォアハンドから、バックハンドに移ったタイミングだった。

 ボールをインパクトした瞬間、右腕に初めてではない鈍痛を感じた。

「明日の練習は難しいと思います」

 国枝の右ひじは、古傷を抱えていた。

 リオデジャネイロ・パラリンピック(リオパラ)後の2016年11月から、右ひじの痛みを治すために、完全休養を選んだ。翌年1月の全豪オープンは欠場。妻の実家で年末年始を過ごし、リフレッシュに努めていた。

 にもかかわらず、本格的に球を打ち始めた初日の練習で痛みが出た。

 半ば、覚悟はしていた。日常生活の中で、ほぼ無意識な確認作業で右手を上下させる動きをすると、鈍い痛みが走った。弱まってはいたが、消えていなかった。ただ、どこかで認めたくない気持ちがあった。

 やっぱり、か。絶望感が体を包む。

 「明日の練習は難しいと思います」

 コーチの丸山弘道には、そう告げて家路についた。

 千葉県柏市の自宅まで、高速道路を走って1時間半ぐらいかかる。現役続行に暗雲が垂れ込める不安感を、自分の胸の中だけにとどめて愛車を走らせるのは、しんどい。妻にしても、帰宅していきなり聞かされるより、まず電話で告げたほうが心の準備ができるかもしれない。