パラリンピックで4つの金メダルを獲得し、世界ランキング1位のまま引退。今年3月には国民栄誉賞が授与された、元プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾。「絶対王者」と呼ばれ、数々のタイトルを獲得してきたが、その裏ではケガや重圧に葛藤することもあった。国枝は、そのような逆境にどのように立ち向かい、道を切り拓いてきたのだろうか?

 ここでは、国枝慎吾と、朝日新聞記者・稲垣康介の共著『国枝慎吾マイ・ワースト・ゲーム 一度きりの人生を輝かせるヒント』(朝日新聞出版)より一部を抜粋。右ひじのケガで引退危機に直面した国枝は、痛みを抱えたままリオパラリンピックに挑むことに――。(全3回の2回目/3回目に続く

国枝慎吾さん ©文藝春秋

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信じた最後の奇跡

 なぜ最終的にリオパラに出ることを決断したのか。

 その質問に対して、国枝はしばらく黙った。ICレコーダーで確認すると、7秒ほど。その場の沈黙に耐えきれなかったのか、助け舟を出したのは、北原だった。

「王者の風格をまとっていたからだと思いますよ」

 国枝が口を開いた。

「最後の奇跡を信じたのかも……」

 それまで、ひじの痛みなどがあっても、それを乗り越えて4大大会優勝など、幾多の栄冠をつかんできた実績にすがりたい気分だった。

 南半球のリオデジャネイロに着いても、右ひじの状態は芳しくなかった。

 開幕前、ステロイドの痛み止めの注射を打つか、コーチの丸山らと話し合った。ステロイド注射は関節内の組織をもろくさせてしまうリスクと隣り合わせだ。ためらいがちだったコーチらに対し、国枝に迷いはなかった。

「引退覚悟で打ちます」

過去圧倒していた相手にストレート負け

 3連覇がかかるシングルスには2回戦から登場した。

 ブラジル選手、中国選手にストレート勝ちした後、準々決勝でふだんの4大大会(当時はシングルスの出場枠は8人)でしのぎを削るヨアキム・ジェラール(ベルギー)との対戦になった。過去は12勝2敗と圧倒している相手に対し、強風の中、3-6、3-6のストレート負けだった。

 現地の記者席で試合を見届けた私は、朝日新聞に観戦記事を書いた。あの日は青空で、風が強かったことを覚えている。

 記事の切り口は当然、右ひじのけがに触れたものだ。

 タイトルは「4年に1度の難しさ 右ひじを手術『ため』戻らず」。