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今大会では本来のオーラが消えていた

 車いすテニス男子シングルス3連覇の夢を絶たれた国枝慎吾に、勝負の分岐点を尋ねると、「根本的に力負けでした」。

 今年はじめまで約10年、ほぼ世界ランク1位を譲らなかった王者の風格に大抵、対戦相手は萎縮してきた。

 しかし、この日はストレート負けだった。第1セットでブレークされた直後の第6ゲーム。4度ジュースに持ち込んだが、ブレークポイントすら奪えない。4月に右ひじを手術。痛みの再発と闘い、第6シードで挑んだ今大会は、本来のオーラが消えていた。

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 右ひじに違和感を覚えたのは昨秋、全米オープン優勝から間もなくだった。苦悩の日々の始まり。

「苦しい1年でした。何度、去年パラリンピックがあったらなあ、と思ったことか」

 全米オープン優勝の翌日、元野球少年の国枝はあこがれの元ヤンキースの松井秀喜さんとニューヨークで対談した。2人が共鳴したのが「ため」だった。

©文藝春秋

本来の『ため』が、最後まで戻らなかった

 松井さんが「大切なのは、体を早く開かず、球をいかに長く見るか」と話すと、国枝が呼応した。「球をためる、ですね。テニスも軸を作って回転させ、腕の力じゃなくてひねりで打つ。共通しています」。さらに「野球と違い、テニスはバッターボックスが前後左右に変わる。チェアワークが大事なんです」と話が弾んだ。

 この日、国枝は試合勘の欠如を敗因に挙げた。「球への入り方も居心地悪かった。本来の『ため』が、最後まで戻らなかった」。4年に1度の大会にピークをあわせる難しさ。パラリンピックのシングルスで敗れたのは、実に12年ぶりになる。

 試合後のミックスゾーンで、国枝は涙を隠さなかった。同時に、対戦相手への賛辞を惜しまなかった。

「本当に素晴らしいプレーだったと言うしかないです」

「彼とやるときは、ストローク戦では負けてはいけないけれど、できなかった。それが完敗だった証拠。このパフォーマンスじゃ、ノーチャンスだったなと思います」

 リオは4年後の東京大会に向けた通過点と言ってきたが、その思いは変わらないのか。それが気になった。

「おっしゃるとおり、すごく若手が伸びてますし、それは僕も認めざるを得ないところ。少しブレークを取るかもしれませんけど、練習もしっかり積んで、またやり直したい」