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妻にしか話せなかった選手生命のピンチ

 とにかく、誰かと共有したい心境だった。

 コーチたちと離れ、1人になったタイミングで駐車場から連絡をしたのは、そんな理由からだった。

 国枝から電話がかかってきたとき、妻の愛は近所のスーパーに買い物に行く途中だった。

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 晩ご飯の献立は何にしようかなどと考えている、ごく日常の時間に、夫から「引退」の2文字を含む、失意の告白を聞かされることになった。

 絶句とは、こういうことなのか。そんな思いがよぎった。

「とにかく、あのときは、すぐにはかける言葉が見つかりませんでした。しばらく沈黙があったと思います。お互いに、しばらく黙っていた気がします。あれが夫のテニス人生で、最大のピンチでした」

リオパラ開幕の5カ月前に手術に踏み切った

 右ひじに違和感が出たのは、2015年秋だった。

 すでに、9月に優勝した全米オープンのころから、歯車は狂い出していたのかもしれない。この大会、国枝は首にテーピングをしながら戦い続けた。

 その前週のセントルイスの大会では、激痛で棄権を余儀なくされた。

 当時の状況を、国枝はこう話す。

 「肩など、上半身の可動域が戻っていない中、体のひねりが浅くなって、腕で強引に振ることで、1発でひじに痛みが来てしまいました」

©文藝春秋

 どこかをかばうことで、ほかの箇所に過度の負荷がかかる。連鎖による痛みだったと推測される。リオパラが迫ってくる。我慢は限界に来ていた。決断せざるを得ないタイミングがやってきた。

 2016年4月、内視鏡によるクリーニング手術に踏み切った。執刀したのは、日本テニス協会医事委員長でもあった聖マリアンナ医科大学名誉教授、別府諸兄。リオパラ開幕の5カ月前だった。

2012年、同じ医師の手術を受けて2連覇

 2012年、国枝はロンドン・パラリンピック(ロンドンパラ)を9月に控えた2月にも手術をしている。

 そのとき執刀したのも、同じく、別府だった。自身も大会に出場するテニス愛好者であり、テニスひじ治療の権威だ。

 別府によると、テニスひじは発症して間もなければ保存療法で、ほぼ痛みは消えるという。

「テニスひじにはフォアハンドが原因でひじの内側に痛みが出るタイプと、主に片手バックハンドのやりすぎで、ひじの外側に痛みが出るタイプがある。国枝さんの場合はバックハンドの酷使による外側の痛みで、手術が必要な状態でした」

 車いすテニス選手の「職業病」と言っても過言ではない。

 車いすテニスの場合、利き手と逆の腕で車輪をこぐ。だから、健常者に多い両手打ちのバックハンドはできない。どんな打球でも片手打ちになるから、打球の衝撃によりひじの痛みが生じやすくなる。