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「たけしさんの番組」にレギュラー出演

ーーグラビア自体は楽しかったですか。

小島 海外にいっぱい行けたので楽しかったですね。あと、グラビアは少人数で和気藹々としながら、作品を作っていく感じで好きでした。出版社の方も大体みなさん美味しいものを知ってらっしゃるから、美味しいものをご馳走になったり。そういうのはすごい楽しかったですね。なので、生まれ変わってもグラビアアイドルをしたいです(笑)。

ーーグラビアからスタートした後はテレビのバラエティー番組、さらにドラマと活躍の場を広げていきますね。デビュー翌年にはビートたけしさんの番組「足立区のたけし、世界の北野」にレギュラー出演されます。

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小島 あれはオーディションで決まりました。ちゃんとしたレギュラー番組は初めてで、それがたけしさんの番組でありがたいですよね。たけしさんの姿が見えなくても、現場の空気がピリッとすることで「あっ、今たけしさんがいらっしゃるんだ」とわかったことを覚えています。たけしさんって現場に行くと「姉ちゃん!」って私のことを言ってくださるんで、それが嬉しかったですね。

筆者撮影

「自分の色」や個性が見出せなくて苦しかった

ーーデビューから3年後の1999年には深夜ドラマ「ABC...XYZ」で初主演。さらに2000年にはドラマ30「三つのお願い」でも主演と演技の仕事も増えていきます。

小島 実力もないのに、本当に運だけで決まってしまって。それが良くなかったのかなって今振り返ると思います。頑張って仕事を掴んだのでなく、何だか分からないうちにたけしさんとの仕事が決まって、ドラマが決まってと、全てにおいてそんな感じだったんです。

 でも、実力もないのに、運だけでいいお仕事をいただいても、続かないですよね。へたくそだから。途中から演技のワークショップを受けたりはしていましたけど、もったいなかったなって思います。きちんと目標があって頑張っている女優さんはやっぱり息の長い頑張り方をされてるじゃないですか。

筆者撮影

ーー当時、小島さんは伊集院光さんとの雑誌で対談されてるんですが、その際伊集院さんは浅草キッドから「番組するならあの子が良いよ」と小島さんを薦められたと話しています。ご自身が思っている以上に周囲の評価は高かったんじゃないでしょうか。

小島 えーっ、そうなんですか。覚えてなかったので嬉しいです。あの頃の私はただ生きていた。生きることに必死だった感じだと思います。賢いグラビアアイドルの方もいらっしゃるじゃないですか。小池栄子さんやMEGUMIさんはきちんと目標を持っていたし、自分の色がある。

 逆に私は色も何にも出せてないし、個性も出せてない。自分をどうやって出せばいいのだろうと思ってました。とにかく何か分からないけど生きづらかった。「しんどい」っていつも思ってました。ただ必死にはやっていました。

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