1996年にグラビアデビューすると人気を博し、その後バラエティー番組やドラマでも活躍した小島可奈子さん(48)。結婚後は地元である福岡に住まいを移し、美容ドリンクのメーカーを経営している。グラビア時代の葛藤から、ADHD(注意欠如・多動症)の娘への思い、16年ぶりとなる写真集「凪-NAGI-」で一糸まとわぬ姿を披露した理由まで明かしてくれた。(全3回の2回目/続きを読む)
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2冊組ヘアヌード写真集「Moon&Sun」誕生のいきさつ
ーー文春オンラインの取材でグラビアアイドルの方の話を聞いていると、人気絶頂期にもまともな給料が払われていないケースが多いです。小島さんはどうでしたか。
小島可奈子さん(以下、小島) 私は給料制できちんといただいてました。生活はもちろんできていましたし、ボーナスもいただいていて。なので、みなさんの話を読んでてびっくりしています。
ーーそれはよかったです。小島さんはグラビア、バラエティーなどで活躍された後、31歳になった2006年に2冊組のヘアヌード写真集「Moon&Sun」を発表されます。どういった経緯だったんでしょうか。
小島 私、20代の頃からさんざん脱ぐ、脱がないで悩んできたんですよ。ヌードのお話もいっぱいいただいていて。20代の頃は水着になって「もうお嫁に行けない」と泣くぐらいだったんですが、30歳になる直前に「私、30歳になるんだ」ってびっくりしたんですよ。歳をとるんだと思った時に、何か残しておこうと思ったんです。
思い切ってヌードになるのであれば自費でやってみようと思って、銀座で4ヶ月アルバイトをして、カメラマン、メイク、スタイリストと全員女性のスタッフさんを自分で揃えて、沖縄で撮影しました。
でも、甘くなかったですね。いかに今までプロフェッショナルの方に囲まれてグラビアの仕事をさせていただいていたのかということを実感しました。衣装からロケ場所、シチュエーションまで自分で全部やってみたら、本当に大変。やっぱりプロの方に作っていただくのと自分たちで作るのは違うと感じて、そこでできたのが「Moon&Sun」でした。
ーー「Moon&Sun」はカメラマンがそれぞれ違う珍しい2冊組の写真集でした。「Moon」は寒色、「Sun」は暖色で撮られ、対照的な世界観の作品になっています。
小島 自分の中で女性の陰と陽を撮りたいと考えて、出版社の方に伝えたんですが最初却下されたんですよ。カメラマンの一人の毛利充裕さんを出版社の方が連れてきてくださったんですが、私は最初から橋本雅司さんと決めていました。そこで出版社の方が「困った」となって、じゃあ2冊組にしようってなってできたのが、「Moon&Sun」でした。結果として表現をしたかった作品が出来上がってよかったです。