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小島 泉谷さんはイベントで手描きのグッズとかを売っていたんですよ。朝まで寝ないで絵を描いてグッズを作り、それからイベントに行って炎天下の中でライブをして、その後にサイン会をしている途中で目が白くなってパタって私の横で倒れて、救急車で運ばれたんです。熱中症でした。次の日もイベントだったんですが、開催されるのかなと思って現場に行ったら、もう泉谷さんが仕事をされてたんです。それを見た時に、これこそスターさんなのだと。

ーー昭和のスターは違いますね。

小島 泉谷さんは全部を楽しんでらっしゃるんですよね。誰かに言われて嫌々とかでなく、ご自分の楽しいというエネルギーで、全力で寝ずにお仕事されているんです。それを見た時に、私はそこまでできるだろうかと自問自答しました。

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 一緒にイベントをさせていただいてる時は、私の喋り方も泉谷さんみたいになってしまって。ライブ前に泉谷さんのファンの方から「早く泉谷出せよ!」と言われた時には「ちょっと待てよ!」とつい言っちゃったり(笑)。泉谷さんにお会いすると、血が騒ぐんですよね。

筆者撮影

「潮時だな」と感じて結婚、フェードアウトするつもりで福岡へ

ーーその後、小島さんは芸能界から離れるわけですが、突然そうしようと思ったそうですね。

小島 ある時まで芸能の仕事が大好きだったんですよ。現場が一番好きで、こんなに楽しいことはないなと思っていたんです。でも、ある2時間ドラマで川上麻衣子さんに橋から落とされ浴衣姿で死ぬシーンを炎天下で撮っている時に「私が、東京の芸能界でやるべきことは全部終わった」と唐突に思ったんですよ。

 撮影が終わると控室に行くんですが、今までだったらすごく楽しかったのに、急に楽しくなくなっちゃったんですよね。潮時だなって。恋の終わりと一緒ですよ。もう次に行く時なんだなって。

 その撮影の翌年の2011年には今の主人と結婚しました。私は17年間ぐらい芸能のお仕事をさせてもらったんですけど、事務所を移籍したり色々ありましたが仕事が途切れたことは一度もなかったんです。でも結婚したら、3・11が来て、ピタッと仕事もなくなったんです。初めて仕事がゼロになったんですけど「やっぱりそうか、終わるときが来たんだ」と思いました。

筆者撮影

ーーそして2012年にご主人の仕事の都合もあり福岡へ移住されます。その時には完全に芸能活動は辞めると決めていたんですか。

小島 主人が福岡に行くとなった時に、フェードアウトする気持ちでこっちに来ました。ただブログがありましたし「芸能界を引退します」と宣言するようなタレントでもないので、そうした大袈裟なことはしませんでした。

ーー芸能界を離れた後、戻りたくなったことはありませんでしたか。

小島 もう結婚もしたし、不妊治療しながら子供を望んでいたので、そっちに頭がシフトチェンジしていました。もともと芸能の仕事をやりたい自分と、一般的な奥さんになりたい自分がいて、奥さんの方のラインに来たので、芸能はもういいかなって思ってました。

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