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「フライデー」の写真で「お父さんがカンカン」に

ーーただ、上京してからいきなり不運があったそうですね。

小島 もともと「新しい事務所を作るから、そこに入って」と言われてスカウトされたんですけど、その事務所ができなかったんですよ。ただファースト写真集は決まっていたので、窓口となってくれるマネージャーさんがいて、仕事だけはあったんです。

 当時はグラビアというジャンルが出来上がる黎明期で、一つの雑誌で水着になったら、別の雑誌のグラビアから声がかかるといった感じで、自分でもよく分からないうちに数珠つなぎでお仕事が来てました。

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筆者撮影

ーーその後、事務所所属はいつですか。

小島 原宿を歩いてるところを別の芸能事務所にスカウトしていただいて、それでやっとちゃんとした事務所に所属しました。

ーーグラビアで水着になることについてはどう考えていましたか。

小島 プライベートでも水着を着たことがなかったから、初めて水着になった時にはものすごく悪いことをしている気持ちになりました。お天道様の下をもう歩けないなというぐらいで。まだ無垢だったんで「もうお嫁に行けない」とも思って。

「フライデー」に水着の写真が1枚載って、父に怒られたこともありました。中野の商店街を一人トボトボと歩いていた時、母から電話がかかってきて「お父さんがカンカンに怒っている。私と離婚すると言っている」と言われて。それを聞いて、その時寂しさがピークに達していたので、商店街でPHSを右手に持ったまましゃがみこんでワンワン大きい声で泣いたのを覚えています。

実際の自分とグラドルの自分のギャップに悩む日々

ーー抵抗感を感じていたグラビアですが、その後も続け、小島さんは人気グラビアアイドルとして活躍されます。

小島 今振り返ると、常に表現の仕事をしながら戦う、普通じゃないことを面白いと感じてしまう自分と、守ってくれる男性についていくかわいい奥さんになりたい自分という、2つの自分が心の中にいました。それはグラドル時代からずっとあった心の葛藤だったんですけど、当時はそれに気づかず、ただただ苦しかったです。

筆者撮影

 もともと自己肯定感が低かったんだと思います。だから、人様に見ていただく仕事をしてない自分には価値がないと思っていた。目立つ仕事をすれば、愛されるし、自分を愛せるとか思っていたけれど、実際やってみても当然ですが、そんなことで自己肯定感は上がらないので。例えばサイン会にファンの方がたくさん来ていただくとその時はもちろん嬉しいんですけど、家に帰るとポツンと一人になる。そのギャップが寂しくて。

 私はグラドルって偶像を作る仕事だと考えていました。男性が「こんな女性がいたらいいな」「こんな彼女が欲しいな」という偶像になるのが自分の仕事だと思っていて。なので当時の私は、実際の自分とグラドルの自分を全く切り離していました。芸能の世界には素の自分ではいなかったので、芸能人でお友達って呼べる方はいなかったです。