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春代は、島原の港から24人の若い女性たちと4人の男性と大型船に乗りこみ、石炭などを積んだ船底部分に身を潜めた。この港が口之津(くちのつ)だ。

春代がやって来た当時の口之津は、三井三池炭鉱(福岡県)の石炭の積み出し港でもあった。

春代らが人目につかぬよう、船に乗りこんだのは真夜中だった。

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船底はひどい状況だった。暗闇で便所もなく、汚物は垂れ流し。航海は約1カ月続き、世話役の男性が女性たちに性的暴行を加えることもあったという。春代は自分の体に汚物をつけることで暴行から逃れた、とテープの声は語る。

〈私も狙われたですが、「ここでやられて、たまるか」と思うて、そこら辺にあった汚れを手えで顔にぬすくったとですよ。ウジがわいとったば汚ればですたい。それで、私はやられんやったです〉

不衛生だったため、生理の際には陰部にウジ虫がわいたという。

〈月のもんがあっても、あそこに詰めるもんも、拭くもんもなか。小便も糞もあるもんですか。みんなその辺にするわけです。その臭いの臭くないの、お話にならんですよ。船の底は、地獄ですよ。よおう生きとったと思います〉

あまりに劣悪な環境のため、到着までに命を落とした女性もいたという。

ムシロをかぶって上陸すると、日本人娼館に連れていかれた

春代たちを乗せた船はようやくシンガポールに到着する。密航のためここでも人目を忍ぶ必要があった。夜まで待って迎えに来た小型船に乗り移り、ムシロをかぶって港に上陸した。

女街に「這って行け」と指示され、ムシロをかぶったまま道を這うように進み、ある建物にたどり着く。そこでは風呂と食事が用意されていて、春代たちは全身「熊」のように真っ黒になった汚れを落とし、バナナなどを食べた。その様子を女郎屋から来た年配の女性たちが見て品定めをし、値段交渉の末、春代たちをそれぞれの女郎屋へ連れて行った。春代が連れて行かれたのは、日本人が経営する女郎屋だった。それはマレー街と呼ばれる、日本人娼館が集まっていた通りにあった。