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みんなが「これだ!」とピンときた曲「LOVEマシーン」

 当時、グループのリーダーだった中澤は、このころのモーニング娘。は手売りでCD5万枚を完売したときのがむしゃら感や結束力がなくなり、勢いが失われていると感じていたという。そこへ来て鈴木あみとの対決があり、それ自体には何の意味も感じられなかったが、その結果はグループがまとまっていないことの答えなのだと思い、危機感を募らせる(中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』ワニブックス、2003年)。

1998年に発売された1stアルバム『ファーストタイム』(ジャケット写真)

 矢口もまた、7thシングルのリリースが発表されると、《“このシングルがダメだったら解散になるかも” って声もスタッフさんたちから聞こえてきていて。だから “ここで気合いを入れなおそう” “もう一発ガーンとヒットを飛ばそう” って時期だったんだ。で、つんく♂さんから曲をいただいて聞いたときに、みんなの中に “これだ!” ってピンとくるものがあって》とのちに振り返っている(矢口真里『おいら』ワニブックス、2003年)。その曲が「LOVEマシーン」だったわけである。

お蔵入りしていた楽曲をダンス☆マンの編曲で

 つんくによれば、もともとこの曲は1993年頃にシャ乱Q用につくり、「まんじゅう娘」という仮タイトルをつけて適当な仮歌でデモテープを録ったものの、結局お蔵入りになっていたという(『女性セブン』2012年7月26日号)。

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 自分では気に入っていたこの曲を再び引っ張り出したつんくは、アレンジャー(編曲家)にダンス☆マンを指名する。ダンス☆マンは当時、70~80年代のダンスミュージックの名曲をユニークな日本語詞でカバーしていた。つんくはその詞よりむしろ音を面白がり、彼に直接会うと「ショッキング・ブルーの『ヴィーナス』とジャクソン・シスターズの『ミラクルズ』を足して2で割らない感じで、イケイケでやってくれ」とオーダーする(『日経エンタテインメント!』2000年4月号)。

「LOVEマシーン」のリリース直前に加入した後藤真希 ©時事通信社

 ダンス☆マンに発注してからトラックダウンまでわずか1週間で、つんくはリズム録りやトラックダウンに立ち会いながら、ずっと歌詞を書いていたという。そうやってアレンジが完成し、仮歌を入れたデモテープをメンバーたちに覚えてくるよう渡したのは歌入れの前々日。しかもレコーディング中もなお歌詞を書き換えたりするという突貫工事であった。

 モーニング娘。のレコーディングではまず、各メンバーがすべてのパートを歌っていき、そこから誰がどこを歌うかを決めていた。その際、メンバーは歌詞ではないところや間奏におのおの考えたフェイクのフレーズなどを勝手に入れて、それがつんくに気に入られると実際に曲中に使ってもらえたという。曲の終わりで矢口がささやく「LOVEマッシ~ン」のフレーズも、レコーディング中に彼女が思いついて入れたものらしい。