初めてのミリオン達成

 プロモーション活動はリリース前に終えていたため、曲が出るとメンバーはそれぞれユニットやソロでの活動に散っていった。そのなかで中澤だけは10日間ほど完全オフとなり、後ろめたさを感じながらも母親と二人で1泊2日の温泉旅行に出かけた。

 その宿泊先の旅館で朝、ボーッとテレビのワイドショーを見ていると「モーニング娘。ミリオン達成」というニュースが飛び込んできて驚愕する。すぐさま、ソロ写真集の撮影中だった安倍に電話をすると、彼女も知らなくて二人で喜んだという。ミリオン達成はモーニング娘。のシングルでは初めてだった。こうして「LOVEマシーン」によってグループは危機を脱した。メンバーはこのときを「2回目のデビュー」と呼んだという。

「LOVEマシーン」の次に発売された、8枚目シングル「恋のダンスサイト」(2000年/ジャケット写真)

時代の空気とシンクロした

 この年の忘年会シーズンには、あちこちのカラオケで「LOVEマシーン」が歌われた。週刊誌には振り付けをイラストで解説した記事が出るほどであった。そんな世間の騒ぎようは、幕末に民衆が世直しを望んで乱舞した運動になぞらえ「平成のええじゃないか」とも称された。経済評論家の森永卓郎は、ドイツの経済学者・ゾンバルトの「恋愛と贅沢が経済成長の源泉である」という理論を引きながら、つんくはこれを学校で学ばずとも体得しているとして、《エコノミストとしても天才じゃないか》と絶賛している(『文藝春秋』2000年6月号)。

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 もっとも、つんくに言わせれば、そういったもっともらしい世評はこじつけにすぎず、自分が大切にしたいのはあくまで「最初に音をちゃんと自分の耳で聞いて振り返ってくれた人たち」だった(『無限大』2005年冬号)。それでも、あの曲が同時代の状況から影響をまったく受けていないわけがない。そのことは彼も認めており、あるインタビューではこんなふうにぶっちゃけた。

つんく♂(つんく♂の公式Xより)

《去年[引用者注:1999年]の春、僕はドラマに出演していたんですけど、その頃以降のどの局のドラマの主題歌もとにかく暗すぎたんですよ。(中略)僕らがシャ乱Qでワイワイ言われている頃は、なんか悲しい歌とか、いい歌っぽいのが受け入れられる時代だったんですけど、ここまで不景気だと、ちょっとムカついてくるんですよね、だんだん。うっせーよ、お前に説教されたくねーよ、とか。なんかそういう感じだったんですよ、僕自身が》(『SWITCH』2000年3月号)。

 そんなフラストレーションもあって生まれた「LOVEマシーン」は、底抜けに明るい曲ではあるが、なかには感動して泣いたという人もいたという。これについてつんくは当時、《生活がほんとうに苦しくて、明日どうしようかっていう人が涙流した、とか。それはもう、あの曲の何がそんな力になったのか、僕らはわからないんですよ。でもそういう人がいたっていうのは、正しいことなのかなって。最近、泣かそうとしてる音楽とかドラマとか、多いじゃないですか。でも哀しい歌を哀しく歌うっていうことじゃない涙が、そこにはあったのかもしれない》と受け止めた(『婦人公論』前掲号)。

よみうりランドで披露された「LOVEマシーン」(モーニング娘。の公式YouTubチャンネルより)

「LOVEマシーン」はモーニング娘。にとって起死回生の一曲となったと同時に、こうして時代の空気とシンクロしたからこそ、いまなお人々の記憶に残っているのだろう。


*「LOVEマシーン」(作詞・作曲:つんく)