いまから25年前、1999年9月9日にモーニング娘。の「LOVEマシーン」がリリースされた。CDの累計売上は176万枚以上のミリオンヒットで、当時8人のモーニング娘。は大ブレイクを果たした。グループの流れを変えた“金髪の13歳”、「ラブマの法則」とファンから囁かれながらグループを去っていったメンバーのその後は……。(全2回の2回目/はじめから読む)
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「LOVEマシーン」では曲や振り付けだけではなく、センターを務めた金髪の少女にも注目が集まった。同シングルが発売されるわずか18日前、1999年8月22日にモーニング娘。の3期メンバーとして加入したばかりだった後藤真希である。当時、13歳の中学2年生だった。
合格の決め手となった後藤真希のひとこと
もともと3期メンバーのオーディションの募集に際し、プロデューサーのつんく(現・つんく♂)は今回新たに二人を採り、9月9日発売のニューシングルでグループを9人体制に移行すると発表していた。だが、後藤の個性の強さから、二人入れるともう一人と潰し合いになるとの判断で、彼女だけが選ばれる。
このとき、最終審査で「何で金髪にしたの?」と訊かれた彼女が「校則で禁止されてるんだけど、夏休みなんで」と答えたのを、つんくが気に入って合格を決めたという話は語り草だ。これが《逆に、なんかポリシー持って“わたし、ロックだから金髪にしました”みたいなヤツだったら、別に要らないんだけど。“夏休みだから金髪にしました”っていうのが、僕、大好きなフレーズで》と、つんくはのちに語っている(能地祐子『モーニング娘。×つんく♂』ソニー・マガジンズ、2002年)。
海苔を歯につけてニカッと笑って…
ただ、後藤が加入していきなりセンターとなり、先輩メンバーたちには戸惑うところもあった。保田圭は、自分たち2期メンバーはまずコーラスからのスタートだっただけに、《すごく驚きました…!!「いきなりセンターか!」って。それに悔しかった…。え?そういうのもありなの?って》と、当時の思いを明かしている(「CHANTO WEB」2022年12月21日配信)。
それでも《ごっちん[引用者注:後藤の愛称]の人柄もあって、特に雰囲気が悪くなるとか、そういったこともなかったですね》ともいう(同上)。たとえば、後藤が初めてメンバーと昼食をとっていたとき、いきなり「見てみてっ!」と言うので振り返ると、弁当の海苔を歯につけてニカッと笑ってみせたことがあった。保田はその度胸にちょっとカルチャーショックを受けたという。
オーディションの最終審査のお寺での合宿では、ほかの候補者が正座してきちんとお経を聞いているのに、後藤だけうたた寝していた、ということもあった。おかげで周囲からは「肝が据わっている」とよく言われたものの、当の彼女にはその意味がさっぱりわからなかった。だが、あとになって《あの頃の自分は……どこからどう見ても、もう恐ろしいとしか言いようがないです(笑)》と省みている(「テレ東プラス」2022年2月20日配信)。