メンバーのその後の運命を定めた?…「ラブマの法則」

 これと入れ替わるように、2000年1月には石黒彩、5月には市井が卒業した。石黒は《私にとって最後の作品になった「LOVEマシーン」がミリオンヒットを記録したことが、精神的な区切りにもなったのかな。この曲はレコーディングのときも、すごく気持ちよく歌えて一発OKが出たんですよ。なんかそのときにね、私、ここまでやれば、もういいかな、って思った》と、卒業後に語っている(『婦人公論』2003年9月7日号)。彼女は卒業後、本来の夢であったファッションデザイナーを再び目指して専門学校に入ったものの、前後して妊娠がわかり、その相手であるロックバンド・LUNA SEAのドラマーだった真矢と結婚する。

2000年、市井紗耶香卒業発表時のモーニング娘。(前列左から)矢口真里、中澤裕子、市井紗耶香、後藤真希、保田圭、(後列左から)飯田圭織、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依、石川梨華、安倍なつみ

 一方、市井は洋楽に傾倒するうち、自分でも歌をつくってみたいと思うようになったという。そして《“今の私、狭いな”って。自分を広げるために、一度リセットしなきゃと思》い、卒業を決意する(『anan』2002年10月16日号)。卒業後は1年半の休業を経て、「市井紗耶香 in CUBIC-CROSS」という音楽ユニットで再デビューしている。

「LOVEマシーン」のジャケット写真では、8人が縦4列に二人ずつ並んでおり、石黒と市井は右端の上下に位置した。不思議なことに、二人を皮切りとして、ここに写ったメンバーは左に向かって各列上から下へ順番に卒業していくことになる。

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2001年、中澤裕子のグループ卒業記者会見 ©時事通信社

 このことにファンが気づき始めたのは、2001年4月に初代リーダーの中澤が卒業したあたりかららしい(『週刊女性』2003年9月30日号)。誰が言い出したのか「ラブマの法則」と名づけられ、その後も、2002年9月に後藤、03年5月にサブ・リーダーとなっていた保田、04年1月に安倍、05年1月に2代目リーダーの飯田圭織、そして同年4月には3代目リーダーを継いだばかりだった矢口と、最後までこの順番どおりメンバーが抜けていき――矢口は俳優とのスキャンダル発覚による活動辞退という残念な形ではあったが――“法則”は成立するにいたった。グループに大きな転機をもたらしたシングルが、まるでその後のメンバーの運命まで定めていたかのようである。

「LOVEマシーン/21世紀」(初回生産限定盤7インチシングルレコードのジャケット写真)

小学生のときに踊ったり歌ったりした「LOVEマシーン」の思い出

 モーニング娘。のファンは、結成からしばらくは圧倒的に10~20代の男性が多かったのが、「LOVEマシーン」を境に年齢層が下にまで拡大した。のちにグループに入ってくるメンバーはこの世代にあたる。

“プラチナ期”と呼ばれる2010年のモーニング娘。 ©Imaginechina/時事通信フォト

 モーニング娘。が結成10周年を迎えた2007年、当時のメンバーたちの座談会でも、まず話題になったのが「LOVEマシーン」の思い出だった。リリース当時、大半のメンバーは小学生で、運動会の応援ソングとして歌ったり、クリスマス会で踊ったりしていたようだ。

 ほかにも、6期メンバーの道重さゆみが、当時のモーニング娘。が「LOVEマシーン」を歌うのを見たとき、《みんなすごく面白い顔して、「自分の壁をブチ破っちゃってるなー」って思った》と言えば、同期の亀井絵里も《私、すごい引っ込み思案だったから圧倒されちゃったもん。(中略)その頃から「羨ましいな、モーニング娘。に入りたいな」って憧れてたよ》と語った(『週刊プレイボーイ』2007年10月29日号)。