リーダーの中澤裕子は当初、マネージャーから「後藤には何も言うな」と言われたという。どうやら、いままでグループにいなかったタイプだから、これまでの「色」に染めたくなかったらしい(中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』ワニブックス、2003年)。それでも、モーニング娘。に入った後藤には市井紗耶香が“教育係”につき、保田を交えた3人でユニット「プッチモニ」としても活動するなかでよく怒られもしたという。
“ライバル”と言われた存在
「LOVEマシーン」では、それまでのシングル曲でセンター常連であった安倍なつみが後藤にその座を譲った格好になった。そのためにファンやメディアからはとかく二人の関係が取り沙汰された。しかし、安倍本人に言わせるとむしろそれは心外であったらしい。数年後、フォトブックのなかで次のように明かしている。
《なんかね、外ではいろいろ言われてたけど、そのときのふたりは結構、フラットで……「おいおい」「なんじゃー」みたいな(笑)。/ヤダッタヨ。そりゃスッゴイヤダッタ。ふたりとも傷ついてたよ……でも普通に話してたし。メンバーの中では逆に仲良しだったんだよ。ライバルって言われるってことはさ。やっぱり、プレッシャーも共有してたみたいなとこあって……》(安倍なつみ『ALBUM 1998-2003』ワニブックス、2003年)
そのころ、安倍と後藤が二人で渋谷のセンター街へ遊びに行き、コギャルたちに見つかって追いかけられたこともあったという。だが、取材でそういう話をしても、まったく信じてもらえなかったらしい。
「後藤が入ってからモーニング娘。は確実に変わった」
矢口真里は後藤が入ってきて「負けてられない」と思うと同時に、その髪色に触発され、自分でもそれまでグループ内で禁じられていたパーマをかけ、髪も明るくした。矢口によれば、このころからメンバーとの関係も、それまで苗字で呼んでいたのがニックネームで呼べるようになるなど、どんどん変わっていったという(矢口真里『おいら』ワニブックス、2003年)。
つんくもまた、後藤が入ってからモーニング娘。は確実に変わったと感じていた。のちにその変化を、《あのころのモーニング娘。って、どっちかというと田舎っぽいイメージがあって。ファミリーレストランのチェーンっていうよりは、田舎の喫茶店系列店ぐらいのイメージだったから。それが、後藤が入ってくることによってフランチャイズな感じのにおいがしてきて》とたとえている(前掲、『モーニング娘。×つんく♂』)。
翌2000年に入っても「恋のダンスサイト」「ハッピーサマーウェディング」とシングルがあいついでミリオンを達成、ユニット曲も人気を集め、モーニング娘。の快進撃は続く。この間、4月には4期メンバーとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依が加入し、グループはさらなる発展を遂げることになる。