9月6日、18歳の誕生日を迎えられた秋篠宮家の長男・悠仁さま。悠仁さまの大学進学をめぐっては、根強く囁かれている「東大進学説」への反対意見がネット署名サイトで1万件を超える異例の事態となっているほか、天皇家の長女・愛子さまの人気の高まりを背景とする「愛子天皇待望論」も止まないままだ。われわれは次代の天皇に何を求めるのか。「週刊文春」に掲載された特集「悠仁さまご成年『私はこう考える』」を公開する。 

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 昭和史研究の第一人者でノンフィクション作家の保阪正康氏(84)は、上皇上皇后と複数回にわたり面会し、対話を重ねてきた。「天皇に受験勉強は必要ない」と語る保阪氏が、悠仁さまに求めるものとは。

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保阪正康氏

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天皇は“聖なる存在”

 天皇には普遍的な役割があります。我々日本人にとっての“聖なる存在”であり続けることです。これは決して神秘めいた意味合いではありません。私たちは時代ごとの社会の枠組みの中で、生活のために働き、日々の欲望を満たしながら日常を生きています。そうした“俗な世界”から離れた場所で日本の文化的伝統を守り、私たちの精神の拠り所であり続ける。天皇とはそんな存在なのです。

 かといって、天皇は生まれながらに聖なる存在であるわけではありません。天皇になる方も、努力をしなければ“聖”にはなれないのです。皇室に生まれたさだめを受け止め、与えられた役割や責任を学び、自覚していく必要があります。

 上皇陛下はたゆまぬ努力をしてこられた方でした。父君である昭和天皇は、戦争を通じて軍人に政治利用され、懊悩してこられた。明治以降の天皇の政治・軍事利用は、聖なる存在を俗化した大きな過ちです。11歳の時に敗戦を迎えた上皇陛下は、こうした過去を踏まえてご自身に課せられた役割と向き合い、努力を重ね、象徴天皇の姿を作ってこられました。

象徴天皇の在り方を模索し続けた上皇と上皇后

 その基盤の1つになっているのが、教育係を務めた小泉信三(慶應義塾長)の教えでしょう。彼は帝王教育に、福沢諭吉が明治15年に書いた「帝室論」を用いたそうです。同書では〈帝室は政治社外にある〉と説いている。天皇とは伝統的に政の外にある存在であると。突き詰めれば「天皇の役割は『聖』であり、『俗』とは一線を引きましょう」と言っているわけです。