歌舞伎や浄瑠璃など、近世の日本の演劇に材を取った小説を数多く書かれてきた松井今朝子さんが、日本のシェイクスピアとも呼ばれる近松門左衛門を主人公とした歴史小説『一場の夢と消え』を敢行されました。 刊行を記念し、長年のご友人でもあり、先にシェイクスピア全著作の完訳を果たされた松岡和子さんとの対談が実現しました。「オール讀物」に掲載された対談をお届けします。

東西の大劇作家について語りつくした

執筆から逃げ出したかった

 松井 初めてきちんとお話ししたのは『ミマン』という婦人誌の企画でしたよね。そもそもは、ひと月交代で私が近松作品、松岡さんがシェイクスピア作品を紹介するコーナーがあって。

 松岡 連載が始まって一年が過ぎた頃だったかしら、蜷川幸雄さんも交えて鼎談の場が設けられたんですよね。その後も劇場でばったりお会いすることが続くなかで、お互いに乗馬が趣味だということが分かって盛り上がった。

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 松井 我らは「ウマ友」なんですよ。実はつい先日まで北海道へ乗馬の外乗(がいじよう)旅行をご一緒していました。二人で草原を疾走して来たばかり(笑)。

 松岡 でも、お互いにこの対談のことは一言も喋らずに今日の楽しみにとっておきました。

 そもそも、なぜ今回、近松を書こうと思われたんですか?

 松井 実は、絶対に手を出したくないという題材の一つが近松でした(笑)。たいへん多作な人で、浄瑠璃だけで百作ほどあって、さらに狂言本、つまり歌舞伎作品も二十作以上残っている。それらに目を通さないわけにはいかないし、なんて考えるだけでもう……。研究者でも全てを読んだ人はいないんじゃないかと思うくらいですよ。

『一場の夢と消え』の前にオールで連載していたのが『江戸の夢びらき』という市川團十郎を主人公にした長篇だったのですが、その連載完結後、当時の編集長から「次は坂田藤十郎はどうですか?」と提案されたんです。それに対して何の弾みか「藤十郎をやるなら、いっそ近松なんじゃないの?」と零してしまった。

 松岡 自分で言っちゃったんだ(笑)。

 松井 自分の首を絞めましたね(笑)。ただ、團十郎と近松を押さえておけば、浄瑠璃や歌舞伎といった日本の近世演劇のベースをほぼカバーできるなとは思ったんです。

 だから始めたのは良いですが……。想像を超えた大変さで連載の担当編集者に途中で「やめたい」って何度も泣きつきました(笑)。書けば書くほど、作品以外にも調べなきゃならないことが湧いてくるし。