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往古の物語に現代を移す

 松岡 小説の後半、吉宗の時代、演劇に対しても圧力が強まっていきますよね。その中で「心中物」に禁令が出されるようになる。その時に近松は「今の世を昔の世に移すしか浄瑠璃の進む道はなさそうじゃのう」と話します。これってシェイクスピアの場合もまったく同じなんです。

松岡和子さん

 松井 そうなんですか?

 松岡 シェイクスピアには全部で三十七作品ありますけれど、彼自身が生きた時代のイングランドを書いた作品は『ウィンザーの陽気な女房たち』ひとつだけ。あとは全て遠い国の遠い時代の物語。そのなかに当時のロンドンの話題を入れ込むんです。たとえば『ハムレット』は十二世紀以前のデンマークの話ですが、演劇事情はシェイクスピアが生きた十六世紀末のもの。グローブ座でなにがあったとか、少年劇団に人気を奪われたとか。なぜそうしたかと言えば、近松と同じく検閲逃れのためなんですね。

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 松井 シェイクスピアの時代もやっぱり検閲があったんですか。

 あ、でも『リチャード三世』のような王侯貴族の物語、史劇がありますよね? そういう場合はどうなんでしょう。

 松岡 シェイクスピアが生きたのはエリザベス一世とジェームズ一世の治世下でしたから、その二人を貶めない限りはなにが書かれてあっても大丈夫だったんです。だからすべての史劇でスタートよりもエンディングの状況が良くなっているのね。世の中は時代が下るにつれ良くなっていて、今のエリザベス一世の時代が一番いい時代ですよ、と物語が落ち着くようになっている。もちろん、近松同様そこに風刺をさりげなく入れていたりはするんですけれど。

 松井 今回、『一場の夢と消え』を書いてみての発見のひとつは、言論統制のなかにあっても、近松が巧妙に風刺を入れ込んでいるんだなということでした。歌舞伎作品の『傾城富士見(けいせいふじみ)る里(さと)』では明らかに生類憐みの令を批判しているし、『傾城三(けいせいみつ)の車(くるま)』では赤穂浪士についての匂わせがあったり。その点はこれまであまり触れられてこなかったように思うんですけれど。

 松岡 それと私が驚いたのは、近松のただならぬ知識と教養です。作品のなかに漢籍や古典から引いたものがこんなにも盛り込まれているのかと。

 松井 実は『近松語彙』という本があって、近松がどんなものから引用して作品を書いたかが分かるんですね。それを読むと、漢籍から日本の古典作品まで膨大な書物からの引用があったんだと分かって、驚くべき教養の深さが窺えるんです。近松以降の作家は原典ではなく、近松から孫引きして書いているくらい。たとえば、「せまじきものは宮仕え」という言葉がありますけれど、あれは本来文法的には「すまじき」が正しいんです。でも近松が間違えて「せまじき」と書いてしまっていたから、後世の人たちも「せまじき」で通してしまった。それくらい影響力があったということですよね。

 松岡 シェイクスピアにもやはり膨大な読書のバックグラウンドがあったと思うんですけど、蔵書などは残っていないんですよね。きっと親しい貴族のところで読ませてもらったりしていたんだろうなと想像するしかない。

 松井さんは書いてみて、他にご自分の中の近松像が変わったというようなところはありますか?

 松井 変わったというか、この本を書きあげたことで私にとっての近松像が固まったという感じでしょうか。

 松岡さんが仰ってくださったように、「実」の間に自分なりの「虚」を立ち上げて書いてきたわけですが、その「虚」は私にとっては全くの「虚」ではない。小説家以外の方には分かっていただけないかもしれないのだけれど、物語のなかで書いたことは、私は「真実」だと信じているし、そうじゃないと小説って書けないんです。小説家は虚構を作り上げるけれど、嘘を書いているとは自分では思っていないものなんじゃないでしょうか。だから私の中の近松像はこれで出来上がっちゃったという感じですね。

 松岡 初めの話に戻りますが、この小説はまさに近松の創作論「虚実皮膜」を地でいっている。だからこそ、色んなレイヤー、色んなより糸からの読み方が出来て楽しいし、何度でも美味しいと思う。

 松井 この本を読んだ方が、また近松の芝居を観に行って下さると嬉しいですね。

松井今朝子(まつい・けさこ) 一九五三年京都市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了。松竹を経て、歌舞伎の脚色・演出などを手がける。二〇〇七年『吉原手引草』で直木賞、一九年『芙蓉の干城』で渡辺淳一文学賞を受賞。

 

松岡和子(まつおか・かずこ) 一九四二年旧満州新京(現・長春)生まれ。東京女子大学英文科卒業、東京大学大学院修士課程修了。翻訳家・演劇評論家。二十八年の歳月をかけ、二〇二一年にシェイクスピア全戯曲の個人全訳を完結させる。