インバウンドに沸く千年の古都・京都には、「雅」の裏に隠された得体の知れない怖さが存在する――。『イケズの構造』『京都人だけが知っている』等の著書で知られる生粋の京都人・入江敦彦氏が、このたび「京怖(=京都の恐怖)」の百物語を綴った『怖いこわい京都』(文春文庫)を上梓した。
ガイドブックには決して載っていない、都に暮らす人々だけが知る「異形」の京都の魅力をこっそり教えます。(全4回の1回目)
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京都は怖い。怖いから楽しい。怖いから美しい。そしてひとことで「怖い」といっても重層的で多面的。ときにそれはホラー映画めくどきどきだったり、絶叫マシンのスリルだったり、よくできたサイコサスペンスを読む喜びだったりする。いわば京都の恐怖は玉虫色だ。妖しく光る玉虫色の誘惑なのだ。
「京都人は美しい檻の中に住んでいる」という哲学者フェノロッサの言葉を拙著『怖いこわい京都』(文春文庫)に引用したが、わたしは「京都人は玉虫厨子の中に住んでいる」のかもしれないと思う。
法隆寺国宝の細工箱に貼られた虹色の羽はほとんど剝(はが)れてしまっているが、こちらの厨子は1200年経ってもなおぴかぴか。どっからくるの、そのパワー。京都、おお、怖わ。
「捨て墓地」で遊ぶ子供たち
〈捨て墓地〉と人は呼ぶ。国宝第一号の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)がある広隆寺最寄の太秦広隆寺駅からお寺とは逆方向に10分足らず。規模的にはささやかだが、その荒涼とした様子はミニチュア版の賽の河原といった風情。どうも墓石や碑などが置き去りのまま廃墟霊園になってしまった……のかと思ったらさにあらず。
いまだに寺院の所有地であった。むしろ、そのほうが怖い気もするが(笑)。正式名称は〈朱雀墳墓地〉(すざくふんぼち)というらしい。え? 元は古墳なの?
半ば崩れかかった埋墓のまにまにヒナゲシが紅い花を揺らせる眺めは儚い。そういえば、このあたりから先の西山エリアは平安時代には「あの世」に擬されていた。平安の風流人たちはRPGのようにここを訪れ風流を味わった。そういう意味で捨て墓地は京都の原風景でもあるのだろう。
ただ、ここを「ちびっ子広場」として利用するのはいかがなものか。たまさか通りかかると子供たちが石を積んで遊んでいたりしてぎょっとする。