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無縁仏の墓を土木材に…

 風光明媚を謳われる京都だが、ここにはそういった“陰の風景”もたくさん残っている。たとえば〈墓池〉。あれは強烈だった。平安時代ならさぞや人気を集めたことだろう。もっとも風流というには、いささかオドロオドロしかったけれど。

 

 それは左大文字にほど近い西方寺の霊園〈小谷墓地〉のこと。そこはかつて、お墓を土木材にしていた。弔う人が絶えて無縁仏となった御影石(みかげいし)を何千基も舗道に敷き並べ、階段を作り、湧水を堰き止めて池を溜めるというトンでもな風景だった。のどかな悪夢って感じ。

 

 他人の墓石を土足で踏んで墓参するのはさぞや奇妙な体験だっただろう。檀家さんたちの寄付で整備されて本来の霊園らしい姿を取り戻したのは喜ばしいことには違いない。しかしわたしはその喪失を残念に思わずにいられない。あの悪夢をもう一度見たい……。いまも静かに怖い雰囲気はあるので洛北散策の折には立ち寄ってみてほしい。

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今はなき「ちんまんランド」

 もうひとつ消失…いやさ滅亡してしまって残念至極な場所がある。〈ちんまんランド〉あるいは〈チンマン王国〉と呼ばれ、ヘンなもの好きの京都人から愛された場所。小さな敷地に大理石で造られた男性器、女性器が林立するまことにチン妙、なれど佇まいのある素敵な空間だった。

 
 
 

 ここの国王だったのは第16代佐野藤右衛門(さの・とうえもん)翁。ウサン臭い人物ではない。〈円山公園〉のオバケ枝垂れや〈京都御所〉殿前の左近の桜の世話を代々されてきた桜守なのだ。そんな翁のご自宅〈植藤(うえとう)造園〉は見事な桜苑になっているのだが、その玄関先に王国はあった。地元民たちが愛する隠れた花の名所にそんなものがあったなんて京都深すぎ。

近隣住民のささやかな信仰の場にもなっていた

 それにしてもオブジェが去勢……撤去(笑)された理由が「畏れ多い方」の上洛時に前を車で通過されるから撤収してくださいと「畏れ多い方専属警察」に指導されたせいだという。ほかでもない藤右衛門翁にそんな要求するなんて。翁は畏れ多い方とのご縁が深いからこそ自ら廃国を決断されたのだった。お役人仕事は文化の害虫也。