インバウンドに沸く千年の古都・京都には、「雅」の裏に隠された得体の知れない怖さが存在する――。『イケズの構造』『京都人だけが知っている』等の著書で知られる生粋の京都人・入江敦彦氏が、このたび「京怖(=京都の恐怖)」の百物語を綴った『怖いこわい京都』(文春文庫)を上梓した。

 ガイドブックには決して載っていない、都に暮らす人々だけが知る「異形」の京都の魅力をこっそり教えます。(全4回の3回目)

『怖いこわい京都』(入江敦彦 著、文春文庫)

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 前回の廃墟について書いたとき細い竹を立てて“張る”「結界竹」についてちょっと話した。神様がいるから入っちゃダメ! という目印だ。神様ならいいじゃんと思うかもしれないが、けっこう気難しくて祟ったり呪ったりなさる方もおられるので。

 京都にはあちこちに結界が張られている。神様ではなく仏様のおられる寺院でも、あちこちに青竹踏み健康法みたいな低い区切りが置かれていて、これもまた「結界竹」と呼ばれる。

 もっとわかりやすく表示すりゃいいのに。黒と黄色の縞々にするとかさぁと思うが、ここは京都。イケズの国だ。上から目線で声を荒げるような真似はしない。頭を下げて視線を外し、囁(ささや)くように、しかしドスの効いた声で「御用のないもの通しゃせぬ」が京都式。意外と効果もあるらしい。

〈鬼門〉なるものも京の日常に散らばる結界のひとつといえよう。あまりにも当たり前にありすぎて目にはつかないけれど……というか目についちゃったらいけないのが鬼門なのだが。

京都の航空写真
街角の鬼門

「鬼門は放置が原則」

 おそらく日本に伝わった最古の風水理論書であり、平安京の設計図ともなった『黄帝宅経(こうていたくきょう)』によれば鬼門とは「宅の塞り也、帰缺薄にして空荒なれば吉也、之を犯 せば偏枯淋腫等の災い有」とされる。また「龍腹にして福嚢也、宜しく厚しく して実重なるべければ吉也、缺薄なれば即ち貧窮す」なのだそうだ。どういうことかというと「鬼門は放置が原則」「スルー推奨」でないと「炎上するよ」という意味。

 鬼門の方角は〈丑寅=艮/うしとら〉即ち北東とされる。オリジナル京都の艮に相当する場所にあるのが〈賀茂御祖神社(下鴨神社)〉の「糺(ただす)の森」だというのはきっと偶然ではない。紀元前3世紀ごろからスルーされた原生林が残っている。

下鴨神社
下鴨神社・糺の森

「鬼門除け」というのは鬼を除けるという意味ではない。敷地や建物の北東角を欠(か)こませ、存在していないことにして厄を逃れる方策なのである。いわば逃げの一手。鬼門からやってくる連中は絶対に防げないので、むしろどうぞどうぞとお通りいただき、ほな、さいならと裏鬼門から出てってもらうわけだ。