松井 医師で馬鹿なんて今じゃ考えられないけれど、昔は免許も要らなかったし、「幇間(たいこ)医者」なんて言葉があるくらい、ホーム・ドクター未満の医師もどきの人もたくさんいた時代ですから、医師で馬鹿ということもあり得るのかなと。実際、近松の弟は岡本一抱(おかもといつぽう)という医師でしたから、その下で修業したという可能性もなくはない。あとは想像力を働かせました。
松岡 親に迷惑のかけ通しなんだけれど、物語の最後は良い活躍をしてくれるんですよね。
松井 以前ある方に「松井さんの小説はいったいどこが本当でどこが嘘か全然分からない」と言われたことがあるんですが、それこそが狙いなんです。私自身、歴史小説を読んでいて、明らかな嘘に気づくと気持ちが覚めてしまう。絶対に嘘とは言い切れない、あるいは本当かもしれない、ギリギリのところを狙って書いているつもりです。
作家、演劇人としての実感
松岡 『一場の夢と消え』は近松の二十代からはじまりますよね。武家の出の信盛(のぶもり)(近松の本名)が、食客として世話になっていた寺を出て公家を頼りに京へ上るという、人生の曲がり角に立つ。なぜここからスタートしようと思ったんですか?
松井 物書きって多かれ少なかれ、モラトリアムを経験しているものだと思うんです。近松と自分を比べるなんて畏れ多いけれど、私にもそういう時期があった。仕事をやめて何もしなかった三年間が。ただ本を読んだり、映画を観たりするだけ。その内にお金がなくなったからまた働きに出たんですけど、その三年にたくさんの本を乱読しました。それが結果としては作家生活の蓄えになったと感じるんです。
近松はあまりに大きな存在だけれど、小説にする以上は自分が近松に乗り移らなければ書けない。自分に引き寄せて、人間としての近松を掴まえなければいけないんですよね。
松岡 近松とご自分を重ねて書かれているんだろうなとは感じました。「これは近松の考え? それとも松井さんの?」とメモした箇所がけっこうあるのね。
〈登場人物が勝手に動きだして話がどんどん進んで行くのを信盛はもう止められない。ただ全力でそれを書き留めるばかりなのだ〉というくだりがありますが、これはきっと松井さんご自身の経験でもあるんでしょう?
松井 重ねざるを得ないところはありますね。芝居についても、私の実体験や役者に対する色んな思いというのが物語に滲んでいます。もちろん近松の思いとして書いてはいるけれど、私の実感もこもっている。
松岡 私はそれこそが松井さんの書いた近松小説の大きな特徴だと思う。舞台の世界も、物書きの世界も知っている松井さんだからこそ書けた物語じゃないでしょうか。