かつて精神疾患の患者の脳の一部を切る外科手術「ロボトミー」が大流行した。一瞬にして症状を改善させる「奇跡の手術」と称賛され、産みの親は「ノーベル賞」まで受賞したが、その裏では虚ろな目をした廃人が大量に生みだされていた。

 ロボトミーの推進者で、患者の脳にアイスピックを刺し込みつづけた精神科医ウォルター・フリーマンは、救世主だったのか? それとも悪魔か? フリーライターの沢辺有司氏の新刊『マッドサイエンティスト図鑑』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

写真はイメージ ©getty

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目から突き刺し、脳をかき切る

 アメリカ最大の精神科病院セント・エリザベス病院の研究所長だったフリーマンは、精神疾患の原因が脳にあると考え、病院内で亡くなった患者たちの脳の解剖に明け暮れていた。

 1920年代当時の精神医学は、フロイトが創始した精神分析学が隆盛をきわめていて、さまざまな精神疾患に対しては催眠や夢分析によって治療が行われていた。しかし、フリーマンは脳外科の治療によって精神疾患を改善できるのではないかと考えていたのである。

 すると1935年、フリーマンの運命を左右する発表があった。ロンドンの国際神経学会で、エール大学の研究チームが、チンパンジーの脳の前頭葉の一部を切ると凶暴性が治まったと発表したのだ。

 これを聞いていた、出席者のポルトガルの精神科医アントニオ・エガス・モニスが言った。

「その実験を応用すれば、精神患者を救うことができるのではないか?」

 モニスはポルトガルの外務大臣を務め、脳の血管をX線撮影する「脳血管造影法」の研究でノーベル賞の候補にまでなった人物だった。彼は、さっそく精神疾患をかかえる患者20人を集めて、脳の前頭葉と大脳辺縁系の連絡回路にあたる神経繊維の集まり「白質」とよばれる部分を切る手術を行った。

アントニオ・エガス・モニス(画像:『マッドサイエンティスト図鑑』(彩図社)より)

 この術式は、ギリシャ語の「白(leuco)」と「切除(tome)」から「ロイコトミー」と名付けられた。ロンドンの学会からわずか半年後、モニスは20人のうち、およそ7割の患者の症状が治癒したか、改善に向かったと報告した。

 この論文を読んだフリーマンは、さっそく手術に必要な長いメスをヨーロッパから取り寄せ、ロイコトミーをアメリカで展開しはじめた。フリーマンは精神科医で、脳外科手術を行うことはできないので、神経外科医のジェームズ・ワッツと協力し、死体を使って研究した。

 そして1936年9月、フリーマンとワッツは、ジョージ・ワシントン大学病院でアメリカ初となる精神外科手術を行った。患者は63歳のアリス・ハマットという女性で、重篤なうつ病を患っていた。家具を壊すなど暴力的な症状もあり、夫の強い希望で彼女は手術台に寝かせられた。

 患者に麻酔をすると、頭蓋骨の側頭部にドリルで穴をあけ、長いメスを差し込み、前頭葉の白質の神経繊維の一部を切った。術後、患者からうつ病の症状が消え、すぐに退院できた。

 モリスが前頭葉の一部分を切ったのに対し、フリーマンたちは前頭葉と視床のあいだの神経繊維を切るという、よりシンプルな手術で同じ効果をえることに成功した。フリーマンはこの術式を、ラテン語の「頭葉(lobo)」と「切る(tomy)」から「ロボトミー」と命名した。

 フリーマンが精神疾患を外科手術で治療したことは、「医学界において、ここ数十年で一番の革新」とたちまち話題になった。フリーマンのもとには、精神疾患に苦しむ患者やその家族が次々とおしよせた。