人格を破壊された患者の中には、ケネディ大統領の妹や12歳少年も…。精神疾患の患者の脳の一部を切る外科手術「ロボトミー」に心酔した、アメリカの精神科医ウォルター・フリーマン。3500回近い手術を行った悪魔の医師は、ロボトミー手術が禁止されてからどんな人生を生きたのか? フリーライターの沢辺有司氏の新刊『マッドサイエンティスト図鑑』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

ロボトミー手術に固執し続けた、精神科医ウォルター・フリーマン(画像:『マッドサイエンティスト図鑑』(彩図社)より)

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犯罪者の矯正手段に悪用される

 ところが、巷ではロボトミーの重篤な副作用の問題が徐々に顕在化しはじめていた。

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 治療を受けた患者のなかには、落ち着きを取り戻すのとひきかえに、豊かな感情や物事をやり遂げようとする意欲を失い、虚な目で廃人のようになる人が少なくなかったのである。フリーマンは、「狂人が正気に戻った」と治療の成功を強調したが、脳を切って取り返しのつかないことになったと後悔する患者やその家族があらわれた。

 のちに大統領となるジョン・F・ケネディの妹、ローズマリー・ケネディもそのひとりだ。

ローズマリー・ケネディ ©getty

 彼女は23歳のときに強制的にロボトミー手術を受けさせられてから、人格が破壊され、重い後遺症を患っていた。亡くなるまで60年あまり、養護施設に隔離され、家族とも引き離されていた。

 さらにロボトミーにとって打撃となったのは、画期的な治療薬が登場したことである。それが1954年にアメリカで認可された、抗精神病薬のクロルプロマジンだ。この薬は、統合失調症などの症状に対してロボトミー以上の効果があるといわれた。ロボトミーの副作用を問題視していた医師の多くは、これ以降、急速に薬物治療へと移行していく。

 焦ったフリーマンは、新たなニーズの掘り起こしをはかった。それまでは症状が重篤な患者への最後の手段としていたものを、初期段階の治療にも有効であると拡大解釈したのだ。

 ロボトミーの患者のなかには、子どももいた。暴力的な振る舞いをするという12歳の少年を手術したこともある。彼はその後も生き続けたが、なにをするにも意欲がなくなってしまったという。ただの思春期の少年が、彼を嫌っていた義母の依頼によって脳を切られてしまったのである。

 一方、ロボトミーは矯正手段としても利用された。一部の州の精神科病院では、犯罪者や同性愛者にロボトミーが施されていた。これはフリーマンでさえ把握していなかったことだ。そうした実態を描いたのが、1962年のケン・キージーの小説『カッコーの巣の上で』である。同書はベストセラーとなり、のちにジャック・ニコルソン主演で映画化もされている。