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 あらゆる問題が噴出したロボトミー手術は、多くの病院で禁止されていった。最後まで手術を許可していたカリフォルニア州バークレー市のヘリック記念病院も、1967年、ロボトミーを受けた患者が死亡したことをうけ、許可を取り消し、全米からロボトミー手術はなくなった。

 その翌年、フリーマンはふたたび全米をめぐる旅に出た。ロボトミーを行った患者を訪ね歩くためだ。フリーマンは生涯に3500回近くのロボトミー手術を行っているが、この旅で、600人の患者の消息を確認。そのうち3分の1以上の230人が退院していて、142人が入院中、235人がすでに亡くなっていた。彼はこの調査を論文にまとめ、さいごまでロボトミーの成果を世に訴えようとしていた。そして、その4年後に76歳で亡くなった。

史上最悪のノーベル賞

 ロボトミー手術は、日本も含め世界中で実施されていたが、非人道性が強く批判され、もはや実施されていない。ちなみに、モニスのノーベル賞は「史上最悪のノーベル賞」といわれていて、ロボトミー手術の被害者団体は授賞を抹消するよう何度も働きかけている。