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 第1次世界大戦後になると、アメリカでは心に傷をおう精神患者が激増し、その数は50万人をこえていた。フリーマンはこれら大量の患者をさばくため、手術の簡略化をはかった。そうして開発されたのが、「経眼窩ロボトミー」だった。

 麻酔の代わりに電気ショック装置を使って患者を昏睡状態にし、アイスピックを上まぶたの裏に突っ込み、軽くハンマーでたたいて眼窩の薄い骨を破り、脳まで達すると、神経組織をかき切る。片目の手術は10分ほどで、両目を行う。目の周りにあざができたが、成功すれば、暴れていた患者がすぐに大人しくなるなど症状は劇的に改善された。

爆発的に普及した「ロボトミー手術」

 別名「アイスピック・ロボトミー」ともよばれたこの手術は、手術室ではなく診療所で、しかも脳を見たこともない精神科医でさえも簡単にできるものだった。相棒のワッツは、最初からこのおぞましい手術に反対していて、フリーマンのもとを去っていった。

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ウォルター・フリーマン(画像:『マッドサイエンティスト図鑑』(彩図社)より)

 フリーマンはやめるつもりなどない。彼は「アイスピック・ロボトミー」を普及させるため遠征に出た。「ロボトモビル」という名の愛車に乗り、全米23州、55の病院を訪問。精神患者であふれる精神病院では、フリーマンは「救済者」として歓迎された。フリーマンは、ロボトミーの公開デモンストレーションを行い、ロボトミーの手法を精神科医たちに伝授した。

 1949年、ロボトミーの産みの親ともいえるモニスがノーベル生理学・医学賞を受賞する。この受賞を後押ししたのが、フリーマンだった。ノーベル賞のお墨付きをえたことで、ロボトミーはいまや世界中で認められ、爆発的に普及した。