――それはプレッシャーもありますね。
岩橋 「はいどうもー」ってスッと出て行けたことなんてほぼないんじゃないんですか。一人で隠れてトイレに行ったり、人目のつかない階段の裏に行ったりして、自分で処理して出て行って。ダメだったらまた誰も見ないところに戻って。こういうキャラやから、別に人前でやったらええやんと思われるかもしれないですけど、子どものころから変な人にいじめられてきているし、変な人に思われる恐怖もあるので、自分が処理しているときの姿は隠してしまうんでしょうね。
――いつから症状があったんですか?
岩橋 小学2年生ぐらいのときに、授業中にアーッとか言うようになっちゃって、そこからいじめられるようになりました。
――強迫性障害であると分かったのはいつごろですか?
岩橋 高校生のとき、思春期に「汚言症」と言って、女の子の前で卑猥なことを言っちゃったりするのが止まらなくて苦しんだんですよ。それで親が病院を探してくれました。周りには隠していたんですけど漏れ出すので、クラスのみんなから無視されました。椅子に押しピンとかを置かれたり、物を隠されたり。花瓶が机の上に置いてある。そういうよくあるいじめを受けました。でもそのときはケンカして自分でいじめを止めていましたけど、いじめっ子からしたら格好の獲物だったと思いますよ。
――症状が抑えられないときはどうしていたんですか?
岩橋 処方されたお薬を飲んでいました。完全には無理ですが、薬を飲むと不安を忘れやすくなるというのはありました。あとはゆっくりお風呂に入る。睡眠時間をたっぷり取る。森林浴をするというのを心がけて、ちょっとずつ付き合っていく感じですよね。
「兄弟ですら、奥さんですら理解はできない。面倒だと思われるのも怖いし」
――当時、身近に相談できる人はいましたか?
岩橋 いなかったですね。分かってくださいと言っても、非常に難しいんですし。親ですら、兄弟ですら、奥さんですら理解はできないというか。細かい説明をしていけばいくほど面倒だと思われるのも怖いし。なかなか人には言えない。
――強迫性障害を公表したのはなぜですか?
岩橋 こんな頭がおかしいやつは世界で俺しかおらへんと思っていたんですけど、高校生のときに病院に連れて行かれて、ほかにも同じ患者さんがいっぱいいらっしゃった。薬もあることを知ったんですよ。それで、人前に立っている自分なら、強迫性障害患者としてありのままの姿を見せることで貢献できることがあるかもしれないという使命感に変わったんです。
もちろんお前のせいで強迫性障害の患者が誤解されるやんけという意見もあるんですけど、隠すのではなく全部ありのまま出そうと。何回も死ぬ思いをしてきたので、助けたい、ちょっとでも楽になってほしいという思いで公表しました。