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学校行事や修学旅行に参加しなかった学生時代

――家族旅行などは海外が多めだったり。

ミンミコ 小学校の頃までは行ってましたね。

 私、奈良時代の副葬品とかが好きで、シルクロードを通って日本に渡ってきたものを見ては「これはこの国のあの系譜を汲んでるから、それを見に行きたい」とか親に言って。

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――副葬品が好きな子供って渋いにも程があると思うのですが、他人から「浮いている子」扱いされていたりは。

ミンミコ どうですかね。馴染んではなかったと思います。とりあえず、学校はあんまり好きではなかったです。学校行事に行かないマンで。高校の修学旅行も行かなかったですね。

 運動会で赤組と白組で競うとか、生徒を赤白で半分にした時点で引き分けでいいじゃんと。そう思って、出ませんでした。

――勉強のほうは。

ミンミコ 勉強はそこそこできました。

 

「大学受験、ちょっと無理かもしれない」

――高校生の頃に家業が傾いたそうですが、予兆みたいなものはあったのですか。

ミンミコ 親から「大学受験、ちょっと無理かもしれない」って言われたんです。それも高3の5月か6月、受験期の真っ只中に言われましたから。あまりに唐突で「え、もう1回言って」みたいな。

 でも、フラグは立ちまくってたんですよ。そういえば旅行に行かなくなったなとか、お母さんがパートに行きだしたとか。あと、家を手放して1軒になっちゃったなとか。

 うち、家が2軒あったんですよ。両親が結婚したときに、父方のおじいちゃんが戸建てをくれたらしくて。なんか、トイレが壊れて、ガムテープでドアにバッテンしてあって、そのままにしてたんです。「あ、直さないんだ」と思って。

――普通にあったものが、消えていった。

ミンミコ あるとき郵便受けを見たら、私の学資保険や母の生命保険とか、いろいろ解約したっていう書類が届いていましたね。

 

――大学進学は奨学金でなんとか、みたいな話は。

ミンミコ 父がやってた会社が、給料でてないのに出てることになってたんですよ。それで世帯として年収が高いと判断されて、ダメだったんです。

 おばあちゃんも一緒に暮らしていたんですけど、要介護4の認知症で大暴れしまくっていて。

 家がメチャクチャになっているのに、父親はずーっとゲームをしていて、なにもしないんですよ。私とお母さんがいるのに、平然とAVも見ていましたから。

撮影=三宅史郎/文藝春秋