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戦国の三英傑を夢中にさせた

 おもしろいのは、添えられたキャプションパネルに、詳細な「伝来」が明記されていること。読めば《付藻茄子》は、戦国武将の松永久秀から織田信長に献上された。その見返りとして松永は、大和一円の領地所有を承認・保証されたという。戦国時代には茶道具ひとつが国と同じ価値を持つこともあったという。その実例がまさにここにある。

《松本茄子》のほうは、応仁の乱を戦ったことでも知られる山名氏や、室町時代の茶人・松本珠報が所持。武野紹鴎や今井宗久ら目利きのもとを経て、織田信長、豊臣秀吉へと渡っている。非の打ち所ない経歴だ。

《唐物茄子茶入 松本茄子(紹鴎茄子)》南宋~元時代(13~14世紀)

 ふたつの茶入は織田信長のもとを経て、同時期に豊臣家の所有となっているが、そこで悲劇が起こる。徳川家康の打ち立てた幕府と豊臣方がぶつかった1615年の「大坂夏の陣」で、どちらの茶入も戦火に巻き込まれ焼失してしまうのだ。

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 ところが家康はあきらめなかった。焼け跡を探索し、名品茶道具の破片をできるかぎり見つけ出し、それらを継いで修復するよう命じた。幸い《付藻茄子》《松本茄子》とも破片の大方が見つかった。

 家康は当代一流の塗師である藤重藤元・藤巌父子に、回収された破片からもとの姿を復元せよと命じる。塗師の父子は破片を漆で繕い、いちど割れたなどと気づかれぬほど美しく甦らせた。

 それから《付藻茄子》と《松本茄子》はそれぞれ変遷を経ながら岩﨑家のもとへ流れ着き、いまこうして丸の内で展示されているわけだ。目の前の茶入がかつて信長、秀吉、家康の戦国時代三英傑の手中にあり、愛でられていたものと思えば、輝きとありがたみは倍増する。