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日常的な暴行と虐待で従業員を恐怖支配

 ワールド内部で従業員たちに振るわれた暴力の詳細については、02年の逮捕後に福岡地裁小倉支部で開かれた松永と緒方の一審でも、検察側が次のように指摘している。

〈松永は、ワールドの事務所等で(中略)従業員らに対し、販売実績が上がらないなどの理由で、手拳、電話帳、バット等で殴る、足蹴りするなどの暴行を加えたほか、正座させた状態で足を踏み付ける、喉に手刀を打ち付ける、「四の字固め」をかける、指を反らす、白米やインスタントラーメンだけの食事を強いる、大量の白米を無理に食べさせる、食事時間を制限する、3日間くらいの絶食を強いる、水風呂に入れるなどの暴行や虐待を、日常的に繰り返した〉

幼稚園勤務時代の緒方純子受刑者(1983年撮影)

 さらに松永は従業員たちに対して、自身が暴力団関係者と親しいことを吹聴。逃走しても必ず探し出すなどと脅していたことから、彼らは逃げ出すことができなくなっていた。この裁判で検察側は、従業員の心理状態についても触れている。

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〈従業員らは、松永を怖れ(※ママ)、常に松永の機嫌を窺って行動するようになり、また、松永が従業員相互に暴力を振るわせたり、互いに監視させたりしたことから、従業員らは相互不信に陥り、互いに密告を怖れて共同して松永に反抗することができなかった。このように、ワールドの従業員らは松永に逆らうことができず、松永は従業員らを意のままに従わせて支配した〉

 詳しくは後述するが、松永が後になって殺人に手を染めた際に使用した、“通電”による虐待方法も、このワールド時代に生まれたものだ。

 こうした恐怖支配によって、従業員たちを自分の会社に縛り付けていた松永だが、それにも限界があった。松永による虐待に命の危険を感じた彼らは、次々と隙を見て逃走する。その結果、最後には山形康介さん(仮名)だけがワールドに残ったのだった。

 山形さんは92年10月、松永と緒方が柳川市から夜逃げした際には、彼らと行動をともにしている。そのときは1屯トラックで石川県七尾市を目指すも、同市に逗留することを計画した松永の翻意によって、現地には1日滞在しただけで福岡県に引き返し、北九州市で部屋を探して移り住む。

 3人は小倉北区の住宅地にあるアパートで共同生活を送ったが、松永が山形さんの頭を洗車ブラシで殴るなどの虐待が続き、命の危険を感じた彼は、93年1月中旬に彼らの下から逃げだしたのだった。