計7人が殺害(うち1人は傷害致死)された「北九州監禁連続殺人事件」。主犯の松永太死刑囚(逮捕時40)は、かつて福岡県柳川市でワールドという布団訪問販売会社を経営していた。そこには、事務員として働く共犯者の緒方純子無期懲役囚(同40)の姿もあった。
1992年10月、ワールドの経営破綻を受けて、柳川市から逃げ出した松永と緒方に同行した元社員の山形康介さん(仮名)は、潜伏先の北九州市で、93年1月中旬頃に2人の下から逃走した。そんな彼に在りし日のワールド社内での、暴力の実態について聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
殴る蹴るから始まった“生け捕り部屋”の社員への暴力
「私がワールドに入って1週間もせんうちに、私より前からいた2人の社員が、坂田(仮名)から暴力を振るわれよる姿を目にしました」
ここに出てくる坂田さんとは、松永と一緒にワールドを立ち上げたという上司の社員。そして前からいた2人とは、山形さんがワールドに入社した段階で、通称“生け捕り部屋”という12畳の部屋にいた、武田さん(仮名)と野間さん(仮名)という社員である。
「まだ最初のうちは通電とかはなくて、ビンタとか、まあそんな感じでした……」
そこで私は、山形さんが最初に受けた暴力は誰からだったかを尋ねる。
「うーん、誰やったかな。……野間やったと思う。たぶん、なんか野間にとっての殴る理由があったと思いますね」
「暴力は殴ることだけでしたか?」
「最初は殴るとか……。グーだったり平手だったり。まあ、それに蹴るが加わったり……」
「松永は暴力については、直接手を出さなかったんですか?」
「坂田がおるうちは坂田に指示して、暴力を振るわせていました。けど坂田が逃げ出してからは、自分でするようになっています。松永と坂田は一緒に会社を立ち上げたと聞いていますけど、関係性でいえば、親分と子分です。松永が親分で、坂田は子分でした」
坂田さんがワールドから逃げ出したのは86年4月頃のこと。ちなみに、武田さんは85年8月頃に、野間さんは88年5月頃に逃走している。
電気コードの針金を押し当てる“通電”という虐待
これらの社員が在籍していた85年4月頃、松永はワールドの経営が苦しいにもかかわらず、自宅があった場所に、事務所兼自宅の3階建てワールド本社ビルを新築している。
後に松永と緒方によって殺害された7人に対して使われた、虐待の手段である“通電”は、このワールド本社ビルが完成した1カ月後、つまり85年5月頃から、同ビル内で頻繁に行われるようになった。
02年に逮捕された松永と緒方に対して、福岡地裁小倉支部で開かれた彼らの一審では、検察側が“通電”について以下の説明をしている。
〈松永は、昭和60年5月ころ、野間が山形に対し電気コードを二股に割き、むき出しにした針金を腕等に当てて通電したと聞き知るや、自らも同様の方法で、野間、武田、山形ら従業員らに対し、その手足、胸、背中、肩、顔面等に通電したり、従業員ら相互に通電させたりするようになった〉