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親からの仕送りが途絶えて用済みになる前に逃走を

 92年10月に松永らと柳川市から遁走する際も、山形さんは本当の理由を知らなかった。

「私はちょっと旅行に行くくらいに思ってましたから。ただ車は幌付きの1屯トラックやったからねえ……。(松永と緒方の)2人は運転席でなく、トラックの荷台に乗ってました」

 行き先はまず石川県の七尾市だったが、最終的には福岡県の北九州市に辿り着く。その理由についても、山形さんはまったく聞かされていない。

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 なぜ山形さんは北九州市で松永のもとから逃走したのか。松永らの裁判では、洗車ブラシで頭などを殴られるなど、〈被告人両名(松永と緒方)が山形に対し暴行や虐待を繰り返したため、山形はこれに耐えかね〉逃走したとあるが、それだけではなかったようだ。

「それまでうちの母親から送ってもらったカネを松永に渡していました。けど、親もそろそろ限界やろうし、親からの仕送りが途絶えたら、俺は用済みやろうなって思ったんです。で、荷物をいろいろ見よったら、どっちのかは知らんけど、本の間にまとまったお金があった。で、それをネコババして逃げました」

裁判が始まっても「シャバに舞い戻るのではないか」と恐怖が…

 金額は10万円くらいだったという。朝方に部屋を抜け出した山形さんは、まず小倉駅を目指して約5kmの道のりを歩いて移動した。続いてそこから、JRで佐賀駅へと向かう。

「佐賀を選んだのは、実家の所有権がどうなっているか気になっていたからです。松永に取られていないか、と。それで実家には寄らずに、法務局で家の登記を調べました。そうしたら、名義は親のままだったので安心して、駅の近くのホテルに泊まりました。親にこれ以上の迷惑をかけたくなかったので、電話もしなければ、実家にも立ち寄っていません」

 その後、山形さんは福岡市で住み込みのパチンコ店での仕事に就く。実家に顔を出したのは、それから1年以上経ってからのことだ。

山形さんがパチンコ屋に出した履歴書の写真。山形さんは言う「ひどい顔でしょ。殴られて頭に溜まった血が下に降りてきて、あんな顔になっていました。これでパチンコ屋の面接に行きました。薄めのサングラスをかけて、この格好で治るまでやらせてもらいますから、と。雇ってくれた店長には感謝しています」

「やっぱり松永が執拗なことは知っていますからね。すぐには実家に戻れませんでした。松永らが北九州市で起こした事件について知ったのは、福岡市でトラックの運転手をしていたときのこと。アパートに警察が訪ねて来て説明を受けて、ああ、そこまでいってしまったんだ、ヘタ打ったんだな、と思いました。昔から近くにいて、松永は自分では手を下さんし、やったとしても痕跡は残さん男でしたから……」

 山形さんは、松永らの裁判が始まっても、彼の狡猾さなら、裁判で無罪になってシャバに舞い戻るのではないかと恐れていた。それは松永の死刑が確定するまで続いたという。