「すがる女」は時代錯誤。「将来結婚をしたいか、その必要性を感じるか」というアンケートを10代20代の男女にとれば30%が「結婚はしたくない。必要性も感じない」と答える、いまはそんな時代。
男性と同じように稼ぎ自立する女性がどんどん増えている。それは悪いことなのか? 悪いわけがない。じゃあなぜ昔の女性たちは稼げなかったんだ。女は稼ぐ手段が色と芸しかなく、男の稼ぎで暮らし家庭を守るものとされていたからだ。
……そんなことを考えるうちにわかったんです。「俺は女性のことを何もわかってないな」。だから、「芝浜」を変えなきゃいけないと思った。それで作ったのが「これからの芝浜」。
「これなら聴いていい、憧れる」と思える夫婦噺とは
岡村 現在、40周年記念公演でやっていらっしゃるんですよね。
談春 夫婦の情愛という核は同じですが、禁酒していた亭主が女房に焚きつけられて3年振りに酒を飲むシーンをつけ加えたり、実は亭主は女房のついた嘘を最初から知っていたという設定にしてみたり。最後のサゲも変えました。
岡村 でも、談志さんから引き継いだ噺を改変してしまうことに抵抗はありませんでしたか?
談春 そうじゃないんです。能狂言やお茶でいうところの「守破離」。まず守りなさい、そしてその後教えを破りなさい、最後は破った自分からも離れなさい。「芝浜」は僕が憧れた噺です。しかも、落語をあんまり知らない人でさえ、タイトルだけは知ってて、「立川談志といえば『芝浜』でしょ」なんて言う。これはすごいことなんです。それに昨日の夜気づいた。
岡村 え、昨日?
談春 明日岡村さんと話すんだと思ったときに。つまり「守破離」なんだと、40年経ってようやくわかったんです。だから、僕が落語家になった年に生まれた人たちが、女性はもちろん男性も、「これなら聴いていい、憧れる」と思える夫婦噺ができたなら、もうちょっと落語の未来をつなぐことができるかもしれないと。
この話をすると、友達を含めてみんなが「いや落語はそのつもりで聴きにくるんだから、少々男尊女卑でもいいんです」って言います。ところが立川流っていう、落語協会から逸脱し寄席やホームを持たないところで生まれ育った僕らです。志の輔であろうが、僕であろうが、志らくであろうが、見知らぬ居酒屋に飛び込みで入って、「落語家なんですけど一席やらせてくれませんか」「はあ? うちで?」「大丈夫です。ビールケースとウレタンの座布団があればいいので」っていうのが僕らの初高座でした。