おしどり夫婦として知られた、大山のぶ代さんと砂川啓介さん。砂川さんは2017年に亡くなったが、その時、認知症が進行していた大山さんはどのような反応を見せたのか。

 

長年のマネジャーである小林明子氏が語った記事「大山のぶ代は夫 砂川啓介の棺に涙ぐんだ」(2017年9月号、「文藝春秋 電子版」掲載)を、文春オンラインの特集「家族と病」にあわせて一部紹介します。

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支え合って生きてきた2人

 私は過去約30年、大山以外の俳優を担当したことがありません。砂川さんは大山が体調を崩すまで別の事務所に所属していたのですが、北海道駅弁の旅とか茨城へアンコウを食べに行く番組など、夫婦で出演する仕事には昔から私が1人で付いて行きました。

 それはもう、仲のいい夫婦でした。たとえば地方の仕事を終えて帰る新幹線の中から、大山は必ず砂川さんに電話をかけます。

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大山のぶ代氏 ©文藝春秋

「いま乗ったから、何時に着くから。今日は何? あ、そう。大根と何とかなんだ」

 と話しているのを聞いて、「あ、ご主人が晩ご飯作って待ってるんだな」と。もともと大山は料理が得意で、五十の手習いみたいな形で砂川さんに教えたんです。ところが砂川さんのほうが上達して、板長さんみたいになりました。砂川さんの料理は本当に美味しいですよ。2人とも工夫して新しいレシピを作るのが好きで、共著で料理本も出したほどです。『ドラえもん』で忙しくなった大山の代わりでもあったので、複雑な思いもあったでしょうけど、割り切っていました。

 砂川さんは亭主関白ですから、大山は常に一歩も二歩も引いて、ご主人を立てていました。3歳年上ですが、いつも「啓介さん、啓介さん」。何を言われても「はい、はい」。本当にご主人第一なんです。砂川さんがライブをやるときには、お友達に「来てくれる?」と声をかけてチケットの手配をしたり。そんなことを、砂川さんには見せないようにやっていました。

 ちなみに砂川啓介は芸名ですが、大山はいつも「啓介さん」と呼びます。

《砂川さんの著書に、こんなエピソードがある。夫婦で出席したパーティーで、芸能レポーターが言った。
「大山さんがドラえもんでしっかり稼いでくれるから、左団扇でしょ?」
 砂川さんは内心で腹を立てたが、苦笑いでごまかした。そのとき別の人と話し込んでいた大山さんだったが、あとでスピーチに立つと、
「砂川家の家計は、すべて啓介さんのお給料でまかなっているんですよ」
 と、やんわりレポーターにくぎを刺したという。
〈“男のプライド”を、しっかりと理解してくれる賢妻・大山のぶ代。僕は、彼女に頭が上がらなかった〉》