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病室へ来て「啓介さ〜ん」

今年6月13日、自宅で倒れている砂川さんを見つけたのも、小林さんだった。》

 肺に溜まった水を抜くために3週間ほど入院して、6月9日に退院したばかりでした。あの日は携帯に電話したら出なかったので、最初はトイレかなと思ったんです。5分ぐらいしてかけ直したら、また出ない。ん? と思って、ご自宅の固定電話にかけたら、やっぱり出ない。なんとなくイヤな予感がして、急いで行ってみました。鍵を開けて中に入ったらソファーに座ったまま寝込んだような姿で、意識がなく、呼びかけて揺すっても返事がありません。退院後はずっとボンベの酸素を吸っていたのですが、それをやっていなかったので鼻にかけてみたら、ようやく「う〜ん」と反応がありました。

砂川啓介さん ©文藝春秋

 酸素が欠乏したために意識を失ったようです。でも救急外来に運ばれたときは、顔なじみの呼吸器科の先生がいたから「こんにちは」と言ったそうです。夜にはパチッと目が開いて、「あっ、ここは?」という感じでした。

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「お昼に何食べたか憶えていますか?」と訊いたら、

「うん、サトイモ」と言って、

「その後、憶えていますか?」と訊くと、

「その後はちょっと……」。記憶が飛んでいました。

 次の日には、「今日は神経内科の先生が診察ですよ」「いつ来るんだ?」と、普通に会話できるようになりました。

 それでも波があって、ずっと寝ているときもあります。なるべくなら目が開いているときに大山を連れて行きたかったのですが、なかなかタイミングが合いません。病室へ来た大山が「啓介さ〜ん」とか「お父さ〜ん」と声をかけると、パチッと目が開いたときもありました。ところが、何にもしゃべらないんです。

 大山はずっと「啓介さん」だったのに、なぜか去年くらいからたまに「お父さん」と呼ぶようになりました。砂川さんはそれが大嫌いで、「俺はお前のお父さんじゃないよ」と言ってたんですが(笑)、このときは何も答えませんでした。

 抗がん剤治療で何度も入院したときには、大山をお見舞いに連れて行くと「ああ、来たか」という感じで、一緒に相撲を観たりして、やり取りにならない会話をしていました。ところが今回は、砂川さんはしゃべりもしないし、目を開けていても、大山をあまり見ないのです。いつも頼りになる砂川さんでいたから、弱って寝たきりになっている自分を見せたくなかったのか。

 大山は、砂川さんが病気だということは感じたと思います。「大丈夫?」とか「頑張ってー」と言っていましたから。何回か行っているうちに、けっこう重病で、いつもと雰囲気が違うのは感じ取る部分があったかもしれません。涙ぐんでしまうときもあって、「大丈夫だからね」と私が声をかけると、「うん」と頷きます。それでも病室を出た途端、忘れてしまうんですけれども。

 だから入院中は、お二人に会話はありませんでした。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「大山のぶ代は夫 砂川啓介の棺に涙ぐんだ」)。