コスプレイヤー、俳優として活動し、トレーニーとしてベストボディ・ジャパン2019日本大会ベスト4の成績も残す桃戸もも(27)。

 うつ病で母を亡くしている彼女に、家庭の様子、母に訪れた変調の数々や親子の仲などについて、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

コスプレイヤー、俳優として活動する桃戸ももさん ©文藝春秋/三宅史郎

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高校2年生頃から、母の情緒が不安定になり始めた

――お母さんは情緒不安定だったとのことですが、いつぐらいからそうした状態になったのでしょう?

桃戸もも(以下、桃戸) 私が高2の頃あたりからですね。「お母さんヒス構文」ってあるじゃないですか。もともと、ああいう感じの人ではあったんですよ。

――論点をとんでもない方向へ飛躍させたり、「どうせお母さんが悪いんでしょ」と自身を卑下するようで相手を責めるような。

桃戸 そうです、そうです。そういう話し方や振る舞いは前からあったんですけど、急にひどくなって。「そんなことで?」っていう理由で、ものすごく怒るようにもなったんです。

 たとえば、用事があって私が横浜にいたんですよ。それで母に電話を掛けて、「横浜にいるから、こっちでご飯食べない?」って提案して。そうしたら、怒りながら横浜に来たんですよ。なんか、むりやり呼び出されたみたいな感じで。「いや、来たくなかったらいいのに」って言ったら、そこでさらに怒ってケンカになったんですよ。

――当初は「今日、機嫌が悪いのかな」と思っていたけど、段々と違和感みたいなものが。

桃戸 こっちがすごく気を使わなきゃいけなくなることが多くなって、「なんか、おかしいな」って。なにかと怒鳴るようになったし、私が出掛けようとしたら「もう帰ってこないんでしょ」みたいなことを言い出したりして。私が高3の頃には、完全にうつモードに入っちゃってました。

 

看護師だった母が、仕事を辞めて専業主婦になった理由

――お母さんは、ずっと専業主婦を。

桃戸 結婚するまで看護師をやってて、いや、私が生まれるまでかな。いずれにせよ、私が生まれてからはずっと専業主婦でした。

――お父さんは、ずっと勤め人を。

桃戸 会社員だったんですけど、私が幼稚園か小学校低学年ぐらいのときに退社して、自分の会社を始めて。いまも会社を続けてます。