――幼かった頃の桃戸さんから見て、両親や家庭はどういった雰囲気でしたか。
桃戸 いま振り返ると、父は若干ですけど亭主関白というか、「昭和の父親」的なところがあったかな。母が看護師を辞めたのも、家事をやってほしいという父の願いを聞き入れたからだと思います。父はいま70歳を超えていて、考え方が昔の人なので。
母は、明るくて誰からも好かれるような人で、優しかったですね。でも、母親も母親で厳しかったところがありました。
幼い頃は母と仲良くやっていたが…
――桃戸さん自身の幼い頃というのは。
桃戸 友だちが多くて、一緒によく遊んでましたね。小学校から私立で、そっちの友だちは住んでる場所がバラバラだったので簡単には遊べなかったですけど、町内会のお祭りとかで地元の小学校に通ってる子たちと仲が良くなって。その子たちとは、自転車であちこち行ってました。
――社交的だった。
桃戸 どうなんですかね。特に明るい子供ではなかったと思うんですけど。赤ちゃんの頃から幼なじみの男の子が2人いて、その子たちとも遊んでましたし。まあ、小学校のときって男女関係なく、ワーッと遊ぶものじゃないですか。そういうノリについていけてただけじゃないですかね。
――お母さんとも仲は良かったわけですよね。
桃戸 母とはうまくやってましたね。優しかったし、専業主婦で家にいるから、ずっと一緒にいたので。父は仕事で忙しかったので、やっぱり母親のほうになついてて。お母さんと遊びに行ったり、どっか行ったりとかすることは多かったですね。
家族旅行もけっこう行きました。ゴールデンウィーク、夏休みとか、大きな休みになると、ハワイとかグアムとかに行ったり。沖縄には、毎年行ってましたね。
大学受験が終わるまでスマホを持てず…厳しかった母親の教育方針
――「母親も母親で厳しかった」とのことですが、どういったところで厳しかったのでしょう。
桃戸 おおらかな人だったんですけど、変なところで厳しかったんですよ。私、大学受験が終わるまでスマホを持たせてもらえなくて。中学からガラケーは渡されてたけど、周りはみんなスマホに変えてLINEをやっていたけど、私だけガラケーだからLINEができないのが厳しかったですね。「あのときの、あのゲームが」みたいなスマホゲームの話題になっても、そもそもスマホを持ってなかったから話についていけないんですよ。