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 東京オリンピックの年に結婚して53年ですから、長い歴史です。「人」という字は支え合ってできている、というじゃないですか。あのご夫婦を見ていると、本当にそんな関係だと思います。どちらがいなくても、倒れてしまう。生まれたばかりの娘さんを亡くしたあとは子どもがいなかったせいもあって、本当にお互いに支え合って生きてきた2人です。

 離れ離れに暮らし始めてから砂川さんが亡くなるまでのこの1年3カ月を振り返ると、いっそうそんな思いが強くなります。

 去年4月、砂川さんの尿管がんが見つかりました。検査の結果、手術ができない場所でしたが、進行性ではないというお話で、放っておいたらどのくらい、という説明もありませんでした。「抗がん剤と放射線でやりましょう」と言われ、入院することになりました。

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 そうなると、大山の在宅介護はできません。急いで施設を探し、幸い自宅の近くで1部屋だけ空きを見つけて、すぐ契約しました。大山がそこへ入居したのと、砂川さんの入院は同じ日でした。

 抗がん剤と放射線治療で入院するたび、私が荷造りをして、「じゃあ、行きますよ」と付き添います。抗がん剤を入れ、何週間かあとに血小板の数値を測る。よくなっていなければ、また入院。その繰り返しが、この1年で15回ぐらいありました。抗がん剤をやると数値が少し戻るので、そのタイミングで医者に相談しながら講演の仕事などをやっていました。

 副作用がきつくて、気持ち悪さを和らげる吐き気止めの点滴を入れるのですが、それでも食欲がなくなります。ところががんは小さくならず、抗がん剤が効いているのかいないのか、砂川さん自身は実感できません。

 医者からすれば「現状維持できているのは、薬が効いているから」となるわけですが、本人は「こんなに苦しい思いをしているのに、なぜ小さくならないのか」とショックです。去年の11月ぐらいから体力も少しずつ落ち、何より本人の「頑張ろう」という気持ちが萎えてきて、「もう絶対やりたくない」と言って、抗がん剤を先延ばしするようになってしまいました。