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最終週で私が見どころと楽しみにしているのが、最高裁大法廷における弁護人の弁論である。大貫弁護士が「何度も練習した」という実際の弁論をかいつまんで紹介する。

《被害者(=X)は十四歳になったばかりの純真な被告人(=Aさん)を(中略)暴力で犯したばかりか、爾来十五年も夫婦同様の生活を強いて被告人の人生をじゅうりんする野獣に等しい行為に及んでいるのであります。
(中略)又被害者の感情の中には、被告人に対して既に子としての愛情は片りんもなく、妻妾としての情感のみであったのであります。
(中略)ここに至っては被害者は父親としての倫理的地位から自らすべり落ち、畜生道に陥った荒れ狂う夫のそして男の行動原理に翻弄されているのであります。刑法二〇〇条の合憲論の基本的理由になっている『人倫の大本・人類普遍の道徳原理』に違反したのは一体誰でありましょうか。
(中略)かかる畜生道にも等しい父であっても、その子は子として服従を強いられるのが人類普遍の道徳原理なのでありましょうか。本件被告人の犯行に対し、刑法二〇〇条が適用されかつ右規定が憲法十四条に違反しないものであるとすれば、憲法とは何んと無力なものでありましょうか》

弁護人は父親の「畜生道に陥った荒れ狂う男の行動原理」を批判

「野獣」「畜生道」という激しい言葉に目が止まる。「人倫の大本・人類普遍の道徳原理」という200条の合憲判決で使われた言葉を逆手にとっている。最後の「憲法とは何んと無力なものでありましょうか」は、聞く者が思わず肯かざるを得ない嘆きがある。これが憲法訴訟で初めて法令違憲を勝ち取り、ひとりの女性を救った言葉である。日本裁判史上、憲法学で特筆されるべきと思う。

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裁判は実際でもドラマでも大法廷で行われている。最高裁判事は15人いて通常は5人ずつの小法廷で審議が行われるが、とくに重要な事件、判例変更に含みを残すものについては15人全員が揃う大法廷で行われる。厳粛なその空間のなかで「畜生道」という言葉がどのように響いたのか、最高裁判事たちはどのように聞いたのか。弁論はキャラクター的にやはりよねが行うのだろうか。「虎に翼」の法廷劇、最後のヤマ場である。